サイトアイコン 月バレ.com【月刊バレーボール】

早稲田大・中澤恵が石川真佑に学び、育むエースの心

 早稲田大学バレーボール部といえば、男子は世代を代表する選手が各学年にそろい、昨年には全日本インカレ4連覇を成し遂げた。一方、女子は現在、関東大学2部リーグで、1部昇格を目指し練習に励んでいる。その女子で、中心を担うのが2年生の中澤恵だ。中学・高校と日本一を経験してきた彼女が今、向き合っているものとは。

 

■早稲田大女子の中澤恵が盟友・石川真佑に学び、大学生活で育むエースの心

中澤 恵(なかざわ・めぐみ/早稲田大2年/身長171センチ/アウトサイドヒッター)(写真提供:関東大学バレーボール連盟)

 

 見る視点が変わったからこそ、気づくことがある。早稲田大女子バレーボール部2年生の中澤恵はかつての仲間の姿を思い返すと、苦笑いを浮かべた。

 

 「例えば、二段トスが上がったときも、自分は『いけぇー』って眺めている側だったので。決めてよ、って怒っていた自分がいたことを今は申し訳なく思います。『ユキ、ごめん(笑)』って」

 

 ユキとは、現在はVリーグのJTマーヴェラスに所属するアウトサイドヒッターの西川有喜のこと。金蘭会高(大阪)で同級生だった当時、西川はチームのエースを務めていた。試合では要所でアタックを決め切れず、叱咤される西川の姿を中澤はチームメイトとして何度も見てきた。でも、今なら分かる。

 

 「みんなが頑張ってつないだ、絶対に決めないといけないボールを決めることがどれだけ大変か。今頃、気づいたんですけどね(笑) ほんとうに感謝しています」

 

 えんじ色のユニフォームを着てプレーする今、中澤は“エース”として、その大きな役目と向き合っている。

 

金蘭会高3年生時に春高2連覇を達成。チームメイトには西川(JT/写真左端)や水杉玲奈(東レアローズ/同左から2番目)らがいた

 

可能性を広げるためのポジション転向

 

 これまでのキャリアを振り返ると、中澤といえば、ポジションはミドルブロッカーだった。全国大会優勝を経験した名門・裾花中(長野)、中学3年生時にJOCジュニアオリンピックカップ全国都道府県対抗中学大会を制した長野県選抜、そしてインターハイ、国体、春高を含め4度の日本一に輝いた金蘭会高。チームの状況によってライト(オポジット)に入ったこともあったが、主戦場はセンターエリアだった。

 

 早稲田大に進学後、入部当初はレフト(アウトサイドヒッター)に就いたが、コート上の安定感を鑑みた結果、1年生時の後半はミドルブロッカーに戻った。そうして2年生時のチームが始動する際に、馬場泰光監督から再び転向を促される。それは『これから大学を卒業してもバレーボールを続けたいと思った際に、レフトの技術がなければ、プレーヤーとしての可能性も狭まってしまう』というのが理由だった。

 

 もっともチームのメンバーを見ると、得点力に長けているのは中澤だった。早稲田大女子は関東大学2部リーグに属し、全国大会経験者が多くそろっているわけではない。その分、中澤にエースの役目が課せられるのは必然ともいえた。

 

 だが、試合になれば、その難しさに直面した。相手ブロックが分厚くついてくるのは茶飯事であり、相手サーブにはとにかく狙われる。それでも自分が拾って、自分が決めなければいけない。最初は決定力が高くても、次第に相手が慣れてくれば、アタックをつながれる数も多くなる。「攻撃にしても、プレーの幅、選択肢が私にはまだ足りないんです」と中澤は唇をかんだ。

 

大学では1年生時からレギュラーとしてコートに立つ。春季関東大学女子2部リーグでは新人賞に輝いた

 

 

同級生の石川真佑からのアドバイス

 

 そうした悔しさに苛まれることもあったが、「自分から学びにいかないと成長できない」と感じた中澤は、自身を成長させてくれる教科書が身近にあると気づいた。中学・高校、日本代表のアンダーエイジカテゴリーを経験したことで、交流ある面々のレベルの高さは言うまでもない。そこで連絡をとったうちの一人が、現在はVリーグの東レアローズに所属する石川真佑だった。

 

 石川は2019年に女子U20世界選手権で初優勝をもたらし自身もMVPに輝くと、その後のワールドカップバレーではシニア代表としてセンセーショナルな活躍を見せていた、同年代を代表する存在。2020年はコロナ禍とあって直接会うことは難しく、電話での連絡だったが、そこでアウトサイドヒッターについて質問をぶつけた。

 

 「そもそもレフトからはどのように打てばいいのか?」

 「どういう練習をしているのか?」

 

 そうした問いかけに石川は親身になって答えてくれたという。ほかにも石川の代名詞ともいえるクロス方向や超インナーの打ち方、またブロックアウトを取れる確率が上がるボールの叩き方、といった多くのアドバイスを受けた。

 

「そう教えてもらって、マユ(石川)のプレーを映像で見ると、『こういうことか!』とさらに納得できました。ありがたい存在でした」と中澤は感謝する。

 

 そもそも中澤にとって石川は、他の誰よりも“エース”だった。同級生として過ごした裾花中時代、その存在の大きさに間近で触れている。

 

 「マユは、ただエースの名前をつけているだけではないんです。『自分がエースなんだ』という思いは、プレーでも言葉でも常に持っていました。ほんとうに頼りになりました」

 

2018年のインターハイ決勝、石川(写真左)のアタックは3枚ブロックでも止めることができなかった(写真コート右、中央のブロッカーが中澤)

 

エースという役目を果たす、それが目標

 

 一方で、石川のエースとしての凄みをいっそう感じたのは高校時代だった。中澤は金蘭会高、石川は下北沢成徳高(東京)でともに下級生時からレギュラー入りを果たし、全国の舞台で何度も対戦している。そのたびに、「すごく意識します」と高校3年生の中澤は明かしていた。と同時に、それは悔しい記憶を伴うものだった。

 

 「2年生の春高準決勝で勝ちはしましたが、マユはブロックに入った自分の手が届かないくらいのインナーを打ってきました。それでも止められず、3枚ブロックでようやく止められるくらい。意識しても止められないコースに打ってくるのは、相手としては嫌。それに友達だから意識もするし…。けど、成徳に勝つにはマユを止めないといけません」

 

 その後、高校3年生時のインターハイ決勝では、石川のアタックを止めることができず、リベンジを許している。

 

 仲間なら誰よりも頼りになり、敵だと誰よりも脅威になる。それが中澤の抱いた、石川真佑というエース像だった。

 

 「その姿を見てきたし、一緒にプレーもしてきたから、私の頭の片隅にもあるんです。エースは何をすればいいのか、って。ああいう存在になるのは何が足りないのか、という道筋が見えます。だから、今の私にとってエースとは、乗り越えなくてはいけない“壁”ではなくて、“頑張りたい”と思えるものなんです」

 

 そう話す中澤は、大学生活で研鑽を積む日々を過ごす。アタックではレフト方面だけでなくバックアタックに取り組み、ウエイトトレーニングで体づくりにも励む。また、全日本インカレ4連覇を遂げた男子バレーボール部の練習にも交ざり、女子では味わえない高さや強さを経験することで、自身の成長につなげている。

 

 「エースという役目をきちんと果たせる選手になる、それが大学での大きな目標です」と中澤。じきに大学3年目が始まる。コート上で見せたいのは、仲間が上げたボールを決めきる、エースの姿だ。

(文/坂口功将〔編集部〕)

 

大学3年目は副キャプテンを務める。責任は増すが、それも自身のレベルアップの糧にする(写真は昨年のもの。提供:関東大学バレーボール連盟)

モバイルバージョンを終了