プロバレーボール選手の斎田杏選手のインタビュー(2)では、海外でバレーを続ける理由について話を聞いた。
日立、ルーマニアで橋本直子とプレー
――海外は4年目ですが、2018-19シーズンはルーマニアリーグのCSMブカレストで日本人選手とも一緒にプレーしています。いかがでしたか?
チームからは最初、橋本さん(直子/イタリアのイル・ビゾンテ・フィレンツェ所属)と2人でやると聞いていましたが、その後田代さん(佳奈美)と井上さん(琴絵/共にデンソー)も来ることになりました。日本人が多くて最初はどういう雰囲気になるのかなと思いましたけど、やってみると、お互いに助け合って生活できていたので、3人いてよかったなと思います。監督(フェルハト・アクバシュ/当時日本代表コーチを兼務)も半分日本人みたいな感じだったので楽しかったです。代表選手ばっかりのチームだったのでとても勉強になりました。ちなみに橋本さんとは今も、毎日のように連絡を取り合っています。
――これまでドイツ、ルーマニア、スイスと違う国でプレーされていますが、国ごとでバレーの特徴は違いますか?
パワーがあるアタッカーがいて、大きなオポジットがいて、ミドルも大きいということは、どの国でも同じですね。テクニックは日本の方が上だと思いますが、パワーだとやっぱり外国の選手の方が強いですね。
現在はリベロとしてスイスリーグを戦う斎田選手(写真:本人提供)
――斎田選手のポジション(リベロ)は、そのパワフルな攻撃を受けますが苦労はありますか?
特にはありません。そこは日本と一緒です。やればなんとかなります。
――斎田選手のプレーの強みは何ですか?
強みは特にないですが、レセプションよりはディグが安定していると思うので、契約のためにチームにアピールするならディグをプッシュ…いえ、あまりアピールはしないかもしれません。よかったときのプレービデオは送ります。
――そもそも、最初に海外移籍をした際は、どのようにチームを探したのですか?
日立リヴァーレに入団後、しばらくして橋本さんと知り合って海外でプレーしている話を聞きました。いいなと思っていると橋本さんが日立に移籍してきたので、さっそく相談したところ「行きなよ」と背中を押してもらいました。しかし、すぐには行動に移せず、1年ほど経った頃、今度は橋本さんに少しサポートしてもらいながら準備を始めました。さらに、知り合いの通訳さんにも相談をしていたのですが、「応援してあげる」と特別にエージェントさんを紹介してもらいました。チームを探してもらい、いくつか候補のチームは挙がったのですが、なかなか具体的な契約までいかなかったので、「給料が安くてもいいから、とにかくプレーできればいいです」とエージェントさんに伝えた結果、なんとかチームが見つかりました。
――契約に関しての苦労はありますか?
エージェントさんが話をよく聞いてくれて、アドバイスもくれるので、特にないです。うまくチームにプッシュしてくれるので、年々契約内容がよくなっています。例えば今シーズンの場合、チームの始動は8月頭からだったのですが、私は日本の長いホリデー(お盆)があるからと言って、みんなより2週間ずらして行かせてもらいました。契約は自分次第の部分が大きいので、必要だと思うことについてはちゃんと主張するようになりました。
分かったふりをしないこと
――それが最初に所属したドイツリーグのシュヴァルツ・ヴァイス・エアフルトですね。不安はありましたか?
楽しみが大きかったので、不安は特になかったです。とにかく海外の選手と一緒にプレーできることが楽しみでした。というのも、日立にいた時に一緒にプレーした外国籍選手がみんないい人で、とても印象がよかったのでワクワクしていました。
――とはいえ苦労もあったと思います
最初は英語も小学生レベルでしたし、言葉に苦労しましたが、ドイツ人のルームメートがいたので、いろいろと助けてもらいました。他にもチームメートのアメリカの子とすごく仲よくなって、飲みニケーションで英語を教えてもらっていました(笑)
――海外で馴染んでいくために大事なことはありましたか?
遠慮をしないことです。日本人はシャイなので、言いたいことがあっても言わなかったりします。会話していて分かったふりをしたこともあったのですが、「分かってないでしょ!」ってバレていました(笑) 海外では自分からアクションを起こさないと気にかけてもらえないので、遠慮をしないことが大事かなと思います。言葉もすらすらと話せなくても、頑張って英語を話していると、「ゆっくりでいいから喋って」と真面目に向き合ってくれます。閉じこもるよりはトライする方がいいと思います。それと、つねに笑顔でいることです。笑っていればなんとかなります(笑)
スイスのスーパーカップでの優勝(写真:本人提供)
自分のために楽しんでバレーをすること
――以前、日本のテレビ局のインタビューで「日本代表を目指しているわけではなく、楽しんでバレーをしている」と答えていたことが印象的でした。いつ頃からそう思うようになったのですか?
日本に4、5シーズンいましたが、試合に出場する機会が少なかったので、正直に言うと楽しくなかったです。 海外に来てから、当たり前のように必要としてもらい、試合で使ってもらえた上に評価してもらえたので、心から楽しいと思えました。みんなそうだと思いますけど、自分のためにやっているので、自分が楽しむことが一番です。
――「日本代表を目指すわけではなく、楽しむことが一番」とは言いづらい空気もあると思うのですが、気にしませんでしたか?
気にしなくなったと思いますね。海外では監督と選手という立場だったり、年齢だったりを気にせず、言いたいことを言える環境です。なので、自分も言いたいことを言えるようになったと思います。
――海外でプロとしてやっていくためには、選手として必要とされなければ続けられないと思います。楽しさだけではないとも思いますが、いかがでしょうか?
プロはすぐに首を切られることもあるので、みんな意識が高いです。練習時間も短いので、その分集中します。オンオフもはっきりしていて、みんなプライベートも充実させていますね。バレーだけではないからこそ、バレーもちゃんとして、プライベートも楽しめるのだと思います。
スイスのインターラーケンでチームメートとソリを楽しむ斎田選手(写真:本人提供)
――オフがあるからオンもより楽しめるのですね。今後の夢はありますか?
海外でプレーすることが夢だったので、もう叶いました。自分の中では1年ごとと思ってやっているので、とりあえず今シーズンを乗り切って、いい結果を残して、それで満足したら引退でもいいです。だいたいシーズン中盤を過ぎた頃になると「もうお腹いっぱいかな」と思って辞めたいという気持ちが大きくなってくるのですが、いい条件のオファーが来ると、もうちょっと頑張ってもいいかなと思い直します。ヨーロッパは国同士が隣接していて旅行もしやすいですしね(笑)
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斎田選手は明るく充実した様子で話してくれた。バレーボールも真剣に取り組むが、現地での生活も精一杯に楽しむ。ひたすら頂点を見つめ、そこを目指す選手もいれば、生活もバレーも存分に楽しむという選手もいる。様々なキャリアの歩き方があることはバレーボールの文化が多様性を含む証とも言えるのではないだろうか。今日も彼女はバレーボールを楽しんでいる。【完】
斎田 杏(さいた・あん)
1993年1月27日生まれ/宮城県多賀城市出身/リベロ
古川学園高ではインターハイと国体で優勝。2013年日立リヴァーレ入団。2017年よりドイツのシュヴァルツ・ヴァイス・エアフルトへ移籍。2018年にルーマニアのCSMブカレストへ、2019年よりスイスのスマッシュ・プフェッフィンゲンに移籍して現在2シーズン目。
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