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春高2025

ボール3個で40人を指導!? こんバレ第8回【モンゴル編】

  • 海外
  • 2021.08.13

 

 

気温差60度のモンゴルへ

 

 私が協力隊に応募したきっかけは母親の勧めでした。母親が所属していたバレーボールのチームメートに、娘さんが協力隊に行った人がいて、その人から話を聞いて私に向いているのではと勧めてくれました。

 

 当時から青年海外協力隊という名前を知ってはいましたが、その職種の中にバレーボールがあると知って、更に興味が湧き応募しました。また、応募中に縁あってJICAの短期プログラムでニジェールへ行くことになったのですが、そこでの活動の経験も協力隊への意欲をさらにかきたてました。

 

 無事に合格して派遣国がモンゴルに決まりましたが、派遣される国の中でも最も気温差のある国です。夏は30度で冬はマイナス30度、気温差が60度と想像をはるかに超えていました。最初にJICAの資料を見たときはミスプリントかと思いました。しかし、冬の体育館でも室内はちゃんと暖かくなっていて、Tシャツ、短パンで運動ができるほど。終わるとスキーウェアを着て帰る、といった感じでした。

 

モンゴルでの教え子が日本で活躍

 

 モンゴルでの1年目は企業のクラブチームに派遣され、2年目は学校を巡回指導するといった活動でした。ある学校では、ボールが3個しかない状況で40人くらいを相手に日本の練習をしてくれと言われて、正直困りました。また、日本では基本になる反復練習も、モンゴルではあまり好まれません。常に新しい練習を求めてくる状況で、反復練習の重要さを伝えながら教えることはとても大変でした。

 

 派遣中に教えていた生徒の一人が日本の高校に留学して高校、短大を卒業し、久光製薬(現・久光)スプリングスに入団したことです(編集部注:ダムディンスレン・ツェンドフー選手/日本航空高で春高に出場するなど活躍した。2010/11V・プレミアリーグでマネジャーとして登録された)。反復練習も多い日本の練習に耐えられずに、すぐ帰国してくるかと思っていたのでとてもうれしかったです。

 

この子が久光製薬(現久光)スプリングスに入りました。

ちなみに私の身長は183cmです。

 

 私は帰国後にバレー指導者の道には進まなかったのですが、今でもバレーボールは続けており、ときどきママさんや学生の指導に当たっています。海外のバレーボール環境を経験したことは私の中で非常に大きな経験となりました。日本では日常当たり前のように使っているボールやネット、特にポールなどがない状況でバレーボールの練習をすることもあり、派遣前に考えていた練習メニューがほとんどできませんでした。そういった状況下でもボール使わずに効率のよい練習ができるか、など工夫を心がけるようになりました。同じ時期にバレーボールで派遣されていた先輩隊員と合同練習を行なっていろいろアドバイスをいただき、助けてもらうこともありました。できることならあと2ヵ国くらい別の国のバレーボール環境を経験してみたかったと、今さらながら思っています。

 

桐谷公平(きりや・こうへい)

1975年7月3日、東京都文京区出身。

バレーボール歴は中学から始めて現在まで33年ほど。東亜学園高、大東文化大でプレー

 

モンゴルってどんな国?

モンゴル

面積:約156万4000km²(日本の約4.1倍の広さ)

人口:約320万人

首都:ウランバートル

 

 

 

青年海外協力隊とは?

JICA(国際協力機構)が実施する海外ボランティア活動。開発途上国の国づくりに貢献するために活動しており、職種や業務内容はさまざま。スポーツ分野ではバレーボール隊員も派遣されている。

応募ページURL:https://www.jica.go.jp/volunteer/index.html

 

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