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女王に逆転負け クラーク記念国際1期生9人の〝バレーボール旅〟が終結

試合後、掛屋監督から労いを受け、涙するクラーク国際の選手たち

第74回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)北海道代表決定戦は11月12日、江別市東野幌体育館で3回戦と準々決勝が行われた。3年連続3度目の出場となるクラーク記念国際は、3回戦でとわの森三愛を2−0(25−10、25−10)で下してベスト8に進出。続く準々決勝では、大会3連覇中だった札幌山の手に1−2(26−24、22−25、19−25)で敗れた。2019年4月に入学した1期生9人の描いた全国大会で戦う夢は、後輩たちに引き継がれた

写真・文/中島洋尚(クラーク記念国際高)

 

 

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 相手エースの鋭角なスパイクが自分たちのコートで弾んだ瞬間、入学から951日に及ぶ9人の旅路が終わった。第1セットを21-24からの逆転でもぎ取り、第3セット中盤には15−11と4点リードし、女王に冷や汗をかかせた。「強豪校をビビらせている自分たちが、かっこよすぎました。(相手の)顔が死んでいましたもん」。セッター河合七星(3年)が、大粒の涙を流し、声を震わせながら、笑った。

 掛屋忠義監督が、敗戦直後の輪の中で「よくやった」と切り出した。中学時代にJOC杯北海道選抜の選手は0人。地域選抜も数人しかいなかった。北海道の真ん中の農村地域・空知地区の春季大会4位が、公式戦のスタートだった。当時はクイックも、ライト平行もない。最初のキャプテンに選ばれたレフトの塚原百惠(3年)に、“ひとまずトスを合わせる”のが唯一の戦術。大会が終わると、塚原の右腕は真っ赤だった。知人に「疲れたでしょう」と話しかけられると、「ちょっと…」と言いながら、苦笑いするしかなかった。

 高校生活最後の試合で、塚原が決めた得点は、チーム2位(1位は久保花音[1年]の11点)の10点だった。セッターの河合は「どのチームのエースよりもすごい最高のアタッカーですし、最後も任せた」と話したが、センター八重樫灯莉(3年)とのクイック、菊地叶楓(3年)とのライト平行、1年生を使ったコンビネーションも織り交ぜ、攻撃の的を絞らせなかった。

 

 

塚原キャプテンは札幌山の手のブロックを強いスパイクで打ち抜く

 

“塚原頼み”からの脱却に、最も貢献したのは八重樫だった。入学から約1年5ヵ月にわたって、毎朝5時起きで札幌から深川まで通学。午後9時に帰宅する生活を続けたが、昨年8月に体育館に隣接する寮が完成して以降、「通学時間が減って、体が楽になった」ことで、バレーボールとチームに向き合う時間が増えた。夕方の全体練習でクイックが合わなかったときには、夜遅くまでセッターの河合と2人でタイミングを合わせ、確実性は増していった。

 

 

得点が入り、笑顔で指差しポーズをする八重樫

 

 メンバーの半数以上が暮らす寮での生活で、チーム力も向上。定期テストの前には、全員が一つの部屋に集まって試験勉強をした。「遅い時間には、ハイテンションになって、誰かが突然ダンスを踊り出したり、変な声を出したりしたこともあって。楽しかったなぁ」と河合。知らず知らずのうちに、個人の技術もチーム力も、北海道のトップクラスと互角に戦えるまでに伸びていた。

 昨年11月に掛屋監督の札幌大谷時代の教え子・澤崎里花子コーチがチームに合流したことも、メンバーの成長を加速させた。寮監として選手たちと寝食をともにする姉貴分が、先輩のいない1期生に、全国大会常連校のバレーボール技術と、必要なメンタルを伝えた。この日の札幌山の手のスタメンは平均身長で5㎝以上高く、中学校時代から道選抜などで活躍し「名前を聞いたことのある選手もいた」(河合)。それでも「相手がどんなに強敵でも“ひるまない”“あきらめない”という掛屋バレーの真骨頂を、彼女たちは、コートの中で出し切ってくれました」と澤崎コーチ。かつて同じ指揮官の下で戦った“先輩”の力も加え、女王を土壇場まで追い詰めたところが、9人の終着点となった。

 

 

試合前練習で笑顔を見せる澤崎コーチ

 

「最後の試合でタイムをかけたときは、キャプテンだけが話して、私の話す時間なんてまったくなかったよ。それが彼女たちの成長かな」と、掛屋監督はうれしそうに笑った。指示がなくとも、監督がタイムを取った意味を全員が理解し、再開後のプレーにつなげられた。

 3回戦の第1セット終盤には、今大会3年生で唯一出番のなかった井上友結が、リリーフサーバーとしてコートに立った。井上は「私がバレーボールをするのを、いちばん応援してくれた」という母を昨秋に亡くした。「必ず天国で見てくれていると思うので、出番がきたらしっかりとしたプレーでチームに貢献したい」と話していたとおり、ポイントこそならなかったが、正確なサーブを放った。どんなに背の高い相手にも、サーブだけは邪魔されない。「だからサーブの練習は欠かすな」。監督から言われ続けたことが体に染みつき、最後の本番で、しかも途中出場でも、自然と体が動いた。

 

 2年8ヵ月前に、米どころの北海道深川市で産声を上げたチームが、どちらが勝って、全国大会に進んでもおかしくない勝負を、強豪校と演じた。「彼女たちがすごかったのは、入学から一度も“全国大会にいく”という目標がぶれなかったこと。達成はできなかったけど、全員が最後の最後まで“絶対にいける”と信じて戦った。素晴らしい試合をありがとう」と掛屋監督は柔らかい表情で言った。

 

 

試合後、掛屋監督から労いを受け、涙するクラーク国際の選手たち

 

「入学式のとき、“必ず春高に行く”とみんなの前で言ったので、それができなかったことは悔しい。でもクラークに入学し、8人に出会い、監督やコーチの指導を受け、成長できて、幸せでした。やり残したことはないです」。クラーク国際の初代キャプテン・塚原は、目の周りを真っ赤にしたまま、充実感あふれる笑みを浮かべた。

 

 なお、北海道代表に決まったのは、旭川実と、準決勝で札幌山の手を下した札幌大谷の2校だった。

 

 

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