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兵庫デルフィーノ トライアウト入団の饒平名丈衣が宿す覚悟

 今季、兵庫デルフィーノに加わった新たな戦力の一人、饒平名丈衣(よへな・じょい)は開幕週を終えて、目を丸くさせた。

 

 「想像していたのとは全然違いました。正直、これまではV1の試合しか見てこなかったので、多少はV2に対して、たかをくくっていた自分がいたんです。けれど、V2もすごい選手やチームがたくさんいると実感しました。全然スパイクも決まらなかったですし、背の高い選手に圧倒されました。これからトレーニングも頑張って、いつかあんな高いブロックを前にしても90%近く決められるような選手になりたいです」

 

 自身にとってVリーグデビューとなった11月6日(土)の大同特殊鋼レッドスター戦では、アタック決定率20%(15本中3本)と、さっそく大きな壁に阻まれる。けれども、同時にそれは喜びでもあった。一度は離れたコートに、再び戻ってこられた証しでもあったからだ。

 

<饒平名丈衣(よへな・じょい)/身長181センチ/最高到達点330センチ/美里工高→兵庫デルフィーノ/アウトサイドヒッター>

 

美里工高時代に全国大会を経験

 

 沖縄出身の饒平名は外国人の家系にルーツを持ち、「なので、身体能力が高いのかな、とは自分ながら思っています」と本人。幼少期はバスケットボールに興じていたが、中学の顧問に誘われてバレーボールを始めると、とりこになった。

 

「チームは大会でも初戦や2回戦で負けるチームだったんです。でも、周りのメンバーがすごくバレーボールが好きで、自分も好きになっていきました」

 

 やがて、レベルの高いところでプレーしたいと思うようになり、地元の美里工高に進学する。

 

「県ベスト4とは聞いていたので。その中で、先輩たちがあと一歩のところで全国大会出場を逃してきた姿を見て、“オレたちは1位になるぞ!!”と決めて練習していました」

 

<開幕週からコートに立つと、気持ちを押し出した>

 

 県内でいえば、西原高が名門として君臨してきたが、饒平名たちの代は3年生の夏にインターハイ予選で優勝(本戦はコロナ禍で中止)。集大成となる春高は18年ぶりの出場を果たしてみせた。「自分たちの代は経験者も半分くらいだったのですが、それでも全国の舞台に立てました。自分はほんとうに周りに恵まれているな、と思います」とほほえむ饒平名。

 

 高校卒業後は就職のため、今春に上京した。一方でバレーボールへの思いも持っていたため、「社会人になっても、どこかでできるだろうな」ともくろんでいた。だが、現実はコロナ禍のため、体育館の使用はおろか、どのチームも活動すらできない状況。何もしないうちに自然と心が離れていき、バレーボールを辞めよう、という思いにも至った。

 

>>><次ページ>【再びバレーボールへの道へ】

<決して大柄ではないが、狙いすましたアタックで得点を重ねる(写真コート奥)>

 

饒平名「自信を持ってプレーできるようになっていたい」

 

 そんな饒平名を搔き立てたのは同年代たちの存在だった。同じ年の選手たちが各大学でプレーし、大きな舞台で活躍している。その姿を動画などで見たときに、「なんで、自分は大学に行かなかったんだろう?」という後悔の念にかられたが、同時に、バレーボールへの意欲がふつふつと沸く自分に気づいた。

 

 そうして兵庫デルフィーノのトライアウトに参加し、結果は合格。その時点でも「ほんとうに自分は、まるで下手くそでした」と饒平名は苦笑いを浮かべるが、兎にも角にも道はひらけた。チームに合流後は、コーチや選手たちから熱い言葉をもらい、それがいっそうモチベーションにつながった。今、饒平名は「ここに入れてよかった。感謝しかありません」と言ってやまない。

 

 Vリーグの男子は1部から3部を見渡しても、高卒選手は少数派だ。その中で、「自分は早くVリーグを経験することができました。チームがV1昇格を掲げる中で、自分もとどまることなく成長したい。今、大学でプレーしている同年代の選手がVリーグの舞台にきたときに、自分も自信をもってプレーできるようになっていたいです」と新人Vリーガーは言葉に熱を込める。

 

<同じトライアウト入団の梅村(写真右)と>

 

 デビュー戦こそ苦杯をなめたが、翌日のつくばユナイテッドSunGAIA戦ではフルセットにもつれるゲームの中、チーム最多17得点をマークした饒平名。同じトライアウト入団の梅村靖二とともに、アタックとサーブレシーブに奔走した。

 

 その試合後には「初戦がほんとうにダメだったので、次は同じようにならないように頑張ろうと思って試合に臨みました。それに、リベロの(森)愛樹さんが引っ張ってくれたので、個人的にはとてもやりやすかったです。レシーブも狙われているのはわかっていたので、落ち着いて1本1本ていねいに返すことを心がけました。意外とよかったなと感じています」と手応えを口にした。

 

 自分の可能性にトライしてひらけた道で、“どこまで通用するか”。その挑戦は始まったばかり。

 

「経験を積みながら、いつか沖縄に戻ったときに、それらを後輩たちに伝えられたらと思うんです」

 

 好きなバレーボールができる喜びをかみしめる口元から、白い歯がきらりと光った。

(文・写真/坂口功将〔編集部〕)

 

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