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岩美高 秋重葉沙が中高一貫校を出た理由と鳥取で胸に留める学びの数々

 春の高校バレー 第75回全日本高等学校選手権大会(春高)で、2年ぶり4回目の出場を果たす女子の岩美高(鳥取)。3年生の秋重葉沙は金蘭会中(大阪)出身で、中学時代は日本一を経験している。そのまま中高一貫校の金蘭会高に進学する選択もありながら、なぜ彼女は鳥取の地へと渡ったのか。決断の理由と最後の春高への思いに迫る

 

<秋重葉沙(あきしげ・はずな/身長163㎝/最高到達点284㎝/金蘭会中〔大阪〕→岩美高〔鳥取〕/3年/アウトサイドヒッター)>

 

全国屈指の強豪・金蘭会中高で姉妹そろってプレー

 

 高校生活最後の春高が迫る。年が明けた1月4日が開幕日だ。秋重葉沙は自分の部活ノートに力強く記す。

 

「絶対譲らん!! 春高まで□日!!」

 

 所属する岩美高自体に部活ノートの文化や決まりはない。けれども彼女は高校に入学してから、ノートをつけてきた。そのわけを「自分を振り返ることで、課題や今の自分に必要なことがわかるので。書くのは、その日の練習で先生に言われたことや、気づいたことに対して、『もっと練習でこうしよう』とか。それに、モチベーションを上げるためにも書いています」と語る。

 

 ノートをつけること自体は、中学3年間欠かさなかった。こちらはチームの取り組みの一つだった。

 

 金蘭会中で得た学びを高校でも生かしている、そのことが十分に伺えた。だからこそ、さらに気になった。なぜ、彼女は姉と同じ金蘭会高を選ばなかったのだろうか。

 

<姉の秋重若菜は金蘭会高を卒業後、早稲田大に進学している(写真は2022年の全日本インカレ)>

 

中学の恩師からはっきりと突きつけられた現実

 

 2019年、夏。その年の第49回全日本中学校選手権大会(全中)で金蘭会中は4度目の日本一に輝いた。そうして全国大会を終えると、次は部員たちの進路を決定するタイミングとなる。一貫校である金蘭会高への「内部進学」か、違う高校への「外部進学」か。その二択が記された用紙が部員に渡される。

 

 当時、秋重は中学3年生。なお、2つ上の姉・若菜(現・早稲田大2年)は中高と金蘭会のバレーボール部で主力を担い、実際に全国大会出場や日本一も経験していた。自身もリリーフサーバーが主だったとはいえ、チームの一員として優勝をじかに味わった。ゆえに、秋重は「内部進学」と決めていた。

 

 「日本一を経験させてもらって、やっぱり高校でももう一度、あの感動を味わいたいし、レベルの高いところで学ばせてもらいたい」

 

 いちばん最初に設けられた、中学の佐藤芳子監督との面談で、そのように理由を伝えた。だが、指導を仰いだ恩師から返ってきた言葉は重く、つらいものだった。

 

 「厳しいことを言うけれど、高校は中学と違って、他校からの選手も入ってくる。技術面で競い合うことになるし、世界が違ってくる。今のままでは厳しいと思う」

 

 それまで監督から、これほどまでに厳しい言葉をかけられたことはなかった。加えて、自分の実力をはっきりと痛感させられたことで、涙があふれ出た。

 

<2019年の和歌山全中を制した金蘭会中。その後、日本一の回数を6にまで伸ばしている>

 

>>><次ページ>「私のこと、使えますか?」

<日本一の頂に立ち、チームメートをねぎらう⑩秋重>

 

「私のこと、使えますか?」と監督へぶつけた

 

 内部進学への気持ちは揺らいだ。そこからは、さまざまな思いが頭をめぐった。

 

 「家族が、試合に出ている姉の姿を見て喜んでいたんです。なので、自分が高校に上がったときに、果たしてそんな親孝行はできるのかな、と。それに中学校で3年間、佐藤先生に学んだことを高校でも発揮できるのだろうか、どうすれば学びを生かせるんだろう、とかなり考えました」

 

 このとき彼女は、金蘭会高の池条義則監督に面談の機会を設けてもらっている。そこでは面と向かって、質問をぶつけた。

 

「私のこと、使えますか?」

 

 その問いかけに、池条監督は少しばかり言葉を詰まらせながら、「お姉ちゃんもおるんやし、妹も上がってきてくれて、あなたのいいサーブを発揮してくれたら」と絞り出す。ただ、「試合に出られず、ユニフォームも着られずに終わる可能性は十分にある」ことは明言されずとも、秋重には伝わった。

 

 コートに立ってプレーするのか、それとも、場合によってはコートの外からチームを支えるのか。自分の素直な思いと向き合う。出した答えは―。

 

<中学3年生時に金メダルを手にした>

 

コートに立ちたい。岩美高への進学を決意

 

 このときの様子をさかのぼると、池条監督も、また佐藤監督も、秋重が「その場ですかさず(外部に)行きます」と口にしたと記憶している。その決断に、堅い意志を感じたのだと。けれども、当の本人は違う。

 

 「そこからも悩みました。姉にも相談しましたし、金蘭会中から内部進学したけれどなかなか試合に出られていない先輩にも相談に乗っていただきました。

 

 そうして話をしているたびに、だんだん自分のほんとうにやりたいことが見えてきたんです。やっぱり自分は高校ではコートの中でバレーボールがしたいんや、って。目標が明確になりました」

 

 やがて保護者も交えた三者面談で最終的な結論を出した。行く先は、岩美高。中学の先輩たちもいることから、外部に進学するなら、このチームと決めていた。

 

 「高校で活躍するんだ。絶対に高校ではコートに立って、春高に出よう」

 

 中学バレーを引退してからも、その強い思いを持って練習に励んだ。

 

>>><次ページ>岩美高で過ごしたなかで得たもの

<第73回春高(2020年度)ではレギュラーの一員としてプレー(コート奥②が秋重)>

 

モチベーションが上がらない時期も

 

 いざ岩美高では1年目に春高出場を果たし、自身もその舞台に立った。だが結果は一回戦敗退。「緊張もしましたし、気づいたら負けてしまっていました。何もできずに終わったという印象です」と秋重は振り返る。

 

 その春高を終えた直後は、モチベーションが一気に下がったという。

 

 「春高に行くためにここに来たのに、春高が終わって何をしてるんやろう、正直、何で練習しているんやろう、とぼんやりしていました。毎日モチベーションがわかなくて、練習でも心と体がさぼっているような感覚でした」

 

 秋重自身は目標を定めれば、強い意志で向かうことができる性分だ。高校の進学先を決断したときも、彼女の芯の強さそのものが指導者たちにも伝わったのだろう。けれども、気持ちが落ちた時期があったとは。

 

<初めての春高は一回戦敗退に終わった>

 

感謝を欠かさぬように。今、秋重が抱く思い

 

 そんな状況を、中学時代の学びが打開した。「このままではあかん」と、中学時代の部活ノートを手に取ると、気持ちが奮い立った。

 

 また、中学3年間では佐藤監督から口酸っぱく、「周りに支えてもらっていることを絶対に忘れないように」と言われてきており、その言葉が身に染みた。

 

 寮生活では、地域の住民がいつも優しく接してくれて、「頑張れー!!」と声をかけられる。毎日の入浴は近くの温泉が利用でき、試合後には「おめでとう」と迎えてくれる。そんな温かみが、背中を押すのだ。

 

 「いつも応援してくださる地域の方々のおかげで、寮生活が成り立っていると感じます。笑顔で接してくださるぶん、自分からあいさつをして、私も明るくなろうと心がけていました」

 

 そんな環境の中で過ごしてきた高校3年間を経て、今、秋重は「あのときの決断を後悔していません」と胸を張る。岩美高での学びも、彼女にしっかりと刻まれている。

 

 「一人の人間として、成長できました。自主的に行動することや主体性といった社会に出たときに役立つことを身につけられていると感じます。それに、自分で課題を見つけて、行動に起こすことも大事だと学びました。それまでは自主性がなかったので、今ではどんなことにも毎日、目標を持って取り組めるようになっています」

 

 高校生活最後の春高に向けて、思いは募るばかりだ。

 

 「春高では活躍している姿を見せたいですし、金蘭会高には中学で一緒にやってきた前川唯奈や德本歩未香たちがいるので、『私も高校で3年間頑張ったよ』って表現したいです」

 

 そして、中学時代の恩師にも。

 

 「あのとき、佐藤先生には厳しいことを言ってもらい、ほんとうに悲しかったけれど、今は自分のために言ってくれたと思えるんです。最後の春高では佐藤先生に感謝の気持ちを伝えたいです」

 

 プレーで恩返しがしたい。だからこそ、絶対に譲れない思いが、そこにはある。

 

<1年生以来(②が秋重)のオレンジコートへ。成長した姿を披露すべく、高校生活の集大成に挑む>

 

(文/坂口功将〔編集部〕)

 

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