インターハイ王者として臨んだ第74回全日本高等学校選手権大会(春高バレー)では、決勝で先に2セットを奪いながらも日本航空高(山梨)に逆転負け。就任して49年目の指揮官が語る「当たり前のことを当たり前」にするバレーとは
取材/田中風太 撮影/中川和泉、石塚康隆
当たり前のことをできなかった春高決勝
――昨夏のインターハイで優勝し、今回の春高では準優勝。結果を残した1年でした
こんなに成績を残せるとは思っていなかったです。
インターハイが終わってから、ミドルブロッカーの2人(平嶋晃、荒谷柊馬)、そして舛本(颯真)の対角の平田(悠真)がもう少し伸びてくれたら、という気持ちがずっとありました。スピード、高さ、パワー。そしてそれに伴うボールの扱いができないといかんと、常に言い続けましたね。ミスが出なければいいけど…、という状態で大会に臨みました。
――決勝では2-0から逆転負けと、悔しい結果になりました
3セットで勝つつもりでいました。そうしたら、舛本が息切れしましたね。第5セットの9-9からスパイクがアウトになって。インターハイでもそうでしたが、よくあの体で持つな、と思っていました。ふだんはおとなしいですが、「なにくそ」という気持ちがあるんでしょうね。
第3セットに勝つチャンスは何度かありましたが、日本航空高もしつこくて、全然リードできませんでした。
――その要因をどこに感じていらっしゃいますか?
ずっと言い続けていたことができませんでした。前半の2点差が後半になるにつれて3、4点と広がっていくのが理想です。でも、一見ポカ(ミス)とは見えないかもしれないですが、私から見たらポカ、というプレーが出ていました。だから、リードできるときにできなかったと思います。
具体的には、決めないといけないボールが決まらないし、チャンスボールがそうではなくなっていました。ブロックのワンタッチでチャンスボールが上がっても、それをしっかりセッターにつなげていません。セッターが走ってトスを上げて、舛本につながないと仕方がない状況が何回もありました。それこそ、いつも言っている「当たり前のことを当たり前に」ということができていませんでした。
――惜しくも優勝は逃しましたが、準々決勝では牧大晃選手(高松工芸高)、準決勝では甲斐優斗選手(日南振徳高)と、身長2mを超える選手がいるチームを続けて破りました
甲斐選手はナンバーワン(スパイカー)だと、インターハイが終わったあとからずっと言ってきました。彼にはブロックの上から打たれるだろうし、舛本がまともにスパイクを打ってもブロックされるだろうと。試合の出だしがまさにそうでした。ただ、こちらも3枚ブロックでしつこくいけば、息切れするだろうと思っていました。そうすると、うちが連続で止めましたね。あそこで彼も萎えたんじゃないでしょうか。高松工芸戦は、うちにはミスの少ない安定した舛本がいるので、おそらく大丈夫だろう、という気持ちがありました。
ただ、いちばん心配だったのは清風高(大阪)です。春高の事前合宿で、4セット戦いました。1セット目は舛本が相手のブロックの上から打って、25-21くらいで取りました。でも、2、3セット目は向こうが攻撃パターンを変えてきて、10点台で落としました。4セット目にようやく20点を越したぐらいで、それも取れませんでした。
清風はスパイカーの身長は低いですが、セッター(前田凌吾)が振り回してきて、うちのミドルブロッカーはついていけませんでした。サイドは1枚(ブロック)で止めるようにして、攻撃を通さなかったら、2セット目からあまりそこにトスを上げなくなって。1人時間差、バックアタック、ライトのクイックを使われました。彼(前田)中心のチームですからね。うまいセッターでしたよ。
ミスがなく、安定していて、いちばん強いと思っていました。ああいうミスをしないチームは反対側のブロックでよかったです。多分決勝までくるだろうと思っていたので。
自ら考えてプレーできる選手を目指して
――畑野監督はミスについて、特に厳しく指導されます。鎮西では「当たり前のことを当たり前に」というモットーを掲げていますが、その原点はなんでしょうか?
指導者になってからずっと言ってきたことですね。私が現役のときから感じていたことですが、それをできない選手はいくら言ってもミスをします。調子がいいときはみんないいですが、悪いときにどうするか。それがちゃんとできないと、バレーボールは勝てないと思います。
――現役時代にそう感じるきっかけがあったのでしょうか?
私は背が低く、「人一倍ボール扱いがうまく、ジャンプができんとダメ」と思っていたからだと思います。
ミスをすると、よく「すまん」って言う選手がいますよね。でも、次の試合でまた同じことをすると、私は「嘘つき」って言います。「ミスしてすまんって言うなよ」と。
――何度も同じミスをする選手が、ミスをしなくなるには何が必要でしょうか?
練習しかないですよ。ただ、やらされるのではなくて、自ら考えて練習して、自分の体を動かせるようになるということですね。
1974年、初めてここ(鎮西高)に来たとき、選手たちは声を出して練習していました。そのときに「声を出すな」と怒りました(笑) 私は現役のころに声を出さないでプレーする練習もしましたが、そうしたら自然と自分たちに必要な声が出るんです。「頼む」とか「トスを持ってこい」とか「クイックに入った」とか。自分で考えて、隣にいる選手に必要な声を出せということですね。
うちの選手たちは試合や練習でダラっとしているように見えますが、ほかのチームよりも考えてプレーしていると思います。
――あらためて、当たり前のことを当たり前にするために、必要なことは何ですか?
本人たち次第です。それは特にレギュラーの責任であって、だからレギュラーと補欠は違います。一人一人が周りに迷惑をかけないバレーをできるようにならないとダメです。
これは高校生だから難しいとか、難しくないとか、そういうことはありません。3年という時間の中で、いかに自分で考えてできるようになるかが大切です。
畑野久雄監督
はたの・ひさお/1945年4月28日生まれ/熊本商高(熊本)→日本体大
1974年、鎮西高の監督に就任。インターハイ、春高で7度の頂点に導く
月刊バレーボール3月号(2月15日発売)では、「春高2022アフターストーリー」と題して、熱戦をプレーバック。鎮西高は、2年生エースの舛本颯真、そして九冨鴻三キャプテン、髙木大我、平嶋晃の3年生が、今大会を振り返った
レシーブする舛本。ていねいなプレーでセッターにボールをつなぐ
選手たちに声を掛ける畑野監督
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