第74回全日本高等学校選手権大会(春高バレー)で初優勝を飾った日本航空高(山梨)の月岡裕二監督が熱戦を振り返る。昨年6月の関東大会では県勢初の頂点に立ちながら、学校内でクラスターが発生して昨夏のインターハイ予選を辞退。どん底から栄冠を手にした要因とは
取材/田中風太 写真/石塚康隆
優勝し、選手たちに胴上げされる月岡監督
――今大会は6試合中4試合がフルセットでした。月岡監督にとってポイントになった試合はありますか?
やはり準々決勝の東福岡高(福岡)戦でしょうね。個人的にはそこまでチームを導けなかったら監督の責任だと思っていた一戦。勝ったことが選手たちの自信になりました。関東大会の準々決勝で駿台学園高(東京)に勝ったときと同じです。たまたまそういう巡り合わせだったのかもしれませんが、あの試合で乗っていくことができました。
選手たちは最低でもあの舞台(準々決勝)まで上がって、自分たちがやってきたことを試したいというワクワク感があり、思いきりがよかったですね。特によかったのが前嶋(悠仁)の対角の小林柊司です。うちは前嶋とミドルブロッカーの攻撃を抑えれば大丈夫だと思われていますが、さらにチームの状態がいいのは、小林がいいときです。昨夏にインターハイで上位に入ったチームと練習試合をしたときも、「抑えないといけない攻撃が多すぎて対応できない」と言っていただいたほどです。この試合はまさにそのいいときで、前嶋より小林の決定打のほうが多かった。小林はここで覚醒しましたね。
――決勝の鎮西高(熊本)戦は2セットを取られてから逆転勝ちでした
わかっていても攻撃を抑えられず、思うような試合運びができませんでした。さすがインターハイチャンピオンですよね。相手のほうがポテンシャルは一段上でした。
2セットを取られて「こんなすごいステージがあるんだ。このまま終わったらもったいない。まだまだ時間はあるんだから、あと3セットやろうよ」と選手たちに伝えました。簡単な言葉ですが、選手たちはほんとうに最後まであきらめず、自分たちがやってきたことを貫きました。
この大会を通じて、選手たちには「試合前だろうが、試合中であろうが、成長できる場は最後まである。最後までうまくなると思ってやったほうがいい。春高はそれだけのステージだよ」と言ってきました。そういう意味でも、3セットを取れたのは彼らにとって自信になったと思います。
――相手エースの舛本颯真選手のスパイクに、徐々に対応しました
舛本選手のストレート側に打つボールは、完全に体を向けて打っていませんでした。向いてない方向に巻き込んで打ってくるから、レシーブするときに守る位置が若干ズレます。しかもそれが意図的ではなく、あれだけの高さとパワーで打ってくるので、守備に自信がある久保田(史弥)も相当手こずりましたね。ただ、久保田に「何本スパイクがきてる?」と聞くと、本数を答えられるぐらい冷静でした。全部を上げられたわけでありあせんが、第3セット以降、少しずつ慣れていったと思います。
――第3セット終盤、競った場面でクイックを選択する樋口響選手のトスワークは見事でした
あれは練習の賜物です。真ん中の攻撃を通さなかったら、前嶋頼みになってしまうことを、樋口は1、2年生のときに痛いほど経験しました。前嶋頼みにならないよう1年間コンビを作ってきたのが、あの場面でのクイックであったり、ライトの久保田の打数につながっています。
テレビ解説の方も「普通、この場面でなかなかクイックを選ばないです」とおっしゃっていましたが、うちは20点以降のクイックがとにかく多いんですよね。それがうまくいくときはセットが取れています。でも、鎮西高戦の第2セットは利川(慈苑)がブレーキになり、真ん中の攻撃が躍動しませんでした。ただ、なんとか彼の調子を上げないと勝機はないと考えていた樋口が、トスでスイッチを入れてくれました。そこから利川の顔色がパッと変わりましたね。
――チームにとって樋口選手の存在は大きかったですね
樋口以外だと優勝は無理だったでしょうね。「樋口じゃないとこのメンバーのよさを引き出せないと言われるようなセッターになることがいちばん大切」とずっと言い続けてきました。1、2年生のころはトスを上げるだけで目いっぱい。2年生の春高では前嶋頼みになり、3回戦で清風高(大阪)に負けました。そこからいかに伸び悩まないかを考えたときに、先ほどの言葉をよく伝えました。最後はそういうセッターに成長しましたね。
樋口の抜群のトスワークで、スパイカー陣は躍動
――攻守で輝いたのが前嶋選手でした
自分がやらないといけないという親分肌が強い選手で、空回りしてうまくいかないことが今までも結構ありました。でも、春高では試合を重ねれば重ねるほど、すごく落ち着いていましたね。
決勝は「これだけ連戦を重ねているのに、今日が一番跳んでいるな」と思って、試合前に「よく跳んでいるね」と前嶋に言いました。実は、優勝した選手時代の春高で、ふだん褒めないコーチから同じことを言われて、すごくうれしかったことを覚えていたんですよね。自分も純粋にそう思ったので、前嶋に同じことを伝えました。それ以外の試合も悪くなかったですが、真骨頂が出たのはあの決勝でした。
そんなに体が大きな選手ではないですが、よくあそこまで持つな、と思います。ただ、それは体力だけのスタミナだけではなく、精神的なスタミナもあったのだろうと思います。前嶋だけではありませんが、夏に悔しい思いをして、何か精神的にプラスアルファの力があったと思います。春高が終わってみて初めてそう受け止められていますが、インターハイに出なかったこともプラスに作用したのかなと思います。
――悔しい思いを抱えながら腐らずにやってきた選手たちにかける言葉はありますか?
本当にあきらめずにコツコツやってきました。僕は「自分はこれだけ努力した」と言っているうちはまだダメなのかなと思います。努力を努力と思わず、コツコツと積み重ねていけば、結果は後からついてくるというか、何か見えるものがあります。それが今回は優勝だった。信じてやってきたことは、自分の生き方そのものにリンクすると思いますね。
――3年生のこれからが楽しみですね
正直、ポテンシャルがそんなに高い選手がそろっているとはあまり思っていません。でも、この3年間で自分の中でつかんだものがあったのであれば、それはいちばんうれしいこと。一緒にやってきて非常によかったと思いますね。
前嶋を抱き寄せる月岡監督
月岡裕二監督
つきおか・ゆうじ/1968年4月28日生まれ/藤沢商高(現・藤沢翔陵高/神奈川)→明治大→サントリー
高校時代は春高、インターハイで優勝を経験。1998年、日本航空高の監督に就任
月刊バレーボール3月号(2月15日発売)では、「春高2022アフターストーリー」と題して、熱戦をプレーバック。優勝チーム特集では、日本航空高の3年生による座談会と、月岡監督に大会を通して光った鉄壁の守りの秘訣に迫った
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