渕江中のマネジャー野口晃生 選手から転向し全国制覇を支えた
- コラム
- 2022.03.18
<全国制覇を果たし、チームメイトたちと喜びを表現した。右端が野口>
みんなが一生懸命だからこそ
――部活動ではどんどん発言し、厳しく振舞える存在でした。それはいつごろから身についたのですか?
野口 小学5年生から入団した台東バンビーニの柳沢監督(当時)には、よく指摘されました。ですが、厳しいだけではなくて、何かを質問しても必ず答えてくれるかたでした。僕が小学6年生のときにガンで亡くなられてしまいましたが、柳沢監督との思い出は今も大切にしています。
-渕江中でも、それを実行に移して貫きました
野口 優しいだけが優しさではない、とは渕江中で学んだことです。厳しいあるべき部分は厳しくしないと。
ただ、2年生で『ライオンキング』の演劇に取り組んだときは、主人公の父親という大役をいただけたのですが、自分がいちばん下手だったので。指摘するにも言いにくい部分はありました(苦笑) それでも、もう少しこうしたらいいんじゃない、立ち居地もこっちのほうが見やすいかも、という意見は積極的に口にするようには心がけていました。
バレーボール部はもちろん、みんな一生懸命なので。しっかりと思いを持って発言すれば、それがケンカになることはありませんでした。
――プレーヤーとしてもマネジャーとしても、バレーボールに携わりました。この競技のどんなところが好きですか?
野口 コート上には6人もプレーする選手がいるのに、一つとなって戦っている点です。たった一つのボールを落とさないように、みんなでつなぐところがいちばんの魅力だと感じます。
――最後に、チームメイトへの思いを聞かせてください
野口 中学3年間のうち、3年生の半ばからは足を引っ張り続けてしまったので。とにかく、ありがとう、という感謝の気持ちでいっぱいです。
(取材/坂口功将〔編集部〕)
<昨年秋には完全に回復し、下級生たちの練習にも参加。楽しそうに駆け回り、笑顔を浮かべる姿が印象的だった>
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