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春高2025

日本代表マネジャーも輩出 学連ってかっこいい

  • 大学生
  • 2022.04.20

新年度が始まり、日本代表や大学のシーズンもスタートしている。かつて“学連”として大学バレーボールの運営を経験し、現在V2男子のサフィルヴァ北海道で事務局スタッフを務める黒須愛美さんから今回、バレーボールの大会や各種の活動を“支える”立場の方々に向けたエールをお届けする

 

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“一般財団法人関東大学バレーボール連盟”という団体が存在する。

 

主な活動としては、関東の大学に存在するバレーボール部の大会運営を行っており、

そのメンバーは主に関東大学リーグ1・2部に所属する大学の学生から選出される。

 

私は日本大学バレーボール部に所属し、大学1年生から“学連”として大学バレーの世界に飛び込んだ。

 

 

※学連は関東以外の全国9ブロックにも存在する。全国の大学バレーボール競技団体を統括するのが、一般財団法人全日本大学バレーボール連盟

 

 

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私が大学バレーの世界に

“学連”として飛び込み、経験できたこと。

 

25歳になった今でも後悔なんて何もなくて、

心の底から入ってよかったと思える。

また、この経験をしていなかったら、

Vリーグの世界にも飛び込んでいなかっただろう。

 

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1年間の流れを見ると、

春季リーグ、東日本インカレ、関東ビーチ、全日本ビーチ(ビーチインカレ)、秋季リーグ、全カレ(全日本インカレ)といった主要大会があり、

その中、あるいは間に、審判講習会や指導者資格講習会など、

さまざまな関連行事も行われている。

 

 

活動中はあっという間に1年が過ぎ、

そうしているうちに最高学年を迎え、

ふと気付けば大学バレーを引退していた。

 

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学連として活動する、その始まり方は人それぞれで

 

もともと学連をやりたかった者

最初から学連としてチームに入った者

選手としてではなく学連としてチームに所属することになった者

 

など、いろいろなケースが存在する。

 

私は学連を経験したくてチームに入り、

念願かなって大学1年生の7月から学連生活が始まった。

 

たくさんの経験や知識を積み重ね、

大学4年の夏、全日本ビーチの大会運営を終え、

自分のチームである日本大が行っていた合宿に途中参加した日のことだった。

 

練習試合が終わり、

集合しているときに監督が発した言葉。

 

「今の2年生の中から学連を決める。もし出ないのであれば3年生から出す」

 

当時の私は、2年生の中からは学連に派遣したくなかった。

 

理由は、

そのとき2年生から派遣されれば、将来は学連委員長になる可能性が極めて高かったこと。

また、(2年生の)控え選手の中で、そうなるのに適当な人材がいない、と思ったこと。

 

学連として派遣されるということは

そのチームの代表として出ることであり、

その人物は、ある意味でチームの顔となる。

その後は運営が中心となるため、選手としての活動は終わりを迎えることになる。

 

後輩たちには失礼だったかもしれないが

「この人物なら」というイメージがわく者は、いなかった。

そしてやっぱり、

選手として入学した以上、選手として輝いてほしかった。

甘やかしている気持ちなのも、全員が全員そうはなれないことも、分かっていながら。

部の先輩として、学連の先輩として、その気持ちが大きかった。

 

解散し、ネットを片付けているとき

 

「俺が出るしかないかな」

 

そう発言した2年生の後輩がいた。

 

春季リーグではメンバー入りし、今後もユニフォームを着るであろう選手だった。

 

その晩、自分自身で考え、

先輩や同期に相談し、

覚悟を決めて、私に話してきた。

 

 

その後輩が坂本將眞だった。

 

 

選手として日本大に入学し、

選手として4年間活動しようとしていた後輩が、

決心して学連に入ると決めたこと。

 

学連という組織に直属の後輩が入ることに、

うれしさもあったが、

責任も芽生えた。

 

絶対に後悔させないし、

絶対に素敵な景色を一緒に見たい。

 

彼は、その人柄のよさですぐに学連でも打ち解け、

私が何をしてあげるまでもなく、

最高学年となった年、学連委員長となった。

 

そして今年度、彼は男子日本代表のマネジャーとして選出された。

 

「黒須さんありがとう!! ほんとうに黒須さんが学連にいて、そこに入っていろんな歯車が動き出した! 感謝です! 頑張りますよ!」

 

お世辞でも言葉として、

そう伝えてくれる後輩がいること

 

純粋に

学連をやってよかったなと

改めて強く、思うことができた。

 

 

学連を通して学べたこと、

輝く選手が存在する裏には、

支えている運営人が必ず存在するということ。

 

私の同期で、

関東学連史上初、女子で委員長を務めた、

いちばん信頼し尊敬する人物の言葉で響いたのが

 

「いつかもっと彼らにスポットライトが当たりますように」

 

という言葉。

 

私も同じ気持ちで、

活躍する選手、応援するたくさんの人、

その裏には必ず支えている者がいる。

 

褒めてほしいとか、

気づいてほしいとか、

そういうことではなくて。

 

見えない部分で支える学連も、

最強にかっこいいんだということ。

 

引退したからこそ、

胸を張って自慢できる。

声を大にして伝えたい。

 

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学連も一つのチームで、

私にとっては日本大も学連も大切な仲間たちで

最高なチームだった。

 

大学4年間で、

大好きなチームが2つ存在したこと。

 

とても幸せで、かけがえのない時間を過ごすことができた。

 

素敵な場所と、仲間に感謝。

 

 

 

黒須愛美(くろす・まなみ)

1996年、茨城県牛久市生まれ。東洋大附牛久高→日本大卒。

日本大バレーボール部ではマネジャーと学連としての活動を経て、

就職後は9人制の企業チームでもマネジャーを経験。

たくさんの人と出会い、たくさんの経験をさせてくれたバレーボールに

「恩返し」ができるよう、北海道へと渡り、

2021年10月よりサフィルヴァ北海道の事務局兼営業として活動中。

 

 

 

2列目、右から2人目が筆者。学連引退時

 

 

2020年の全日本インカレで日本大は3位に輝いた。前列左から4人目が当時の坂本学連委員長

 

 

 

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