「このサーブを返したい」 髙橋 藍 初の海外挑戦から帰還
- 大学生
- 2022.04.19
イタリア・セリエAでの初めてのシーズンを終え、帰国した髙橋藍(日本体大3年)。プレーしたパドヴァは、かつて石川祐希(ミラノ〔イタリア〕)も在籍したチームだ。日本人選手を受け入れた現地ファンの反応や、チームメートとの交流は? そして、座右の銘「勇気と信念が世界を変える」のとおりに、髙橋の世界は変化したのだろうか?
日本人選手として知ってもらえるだけでも
――チームとしては3人目の日本人選手でした。現地ファンの反応はいかがでしたか?
髙橋 こちらのリーグでは、お客さんが尋常じゃないくらい盛り上がります。得点すればめちゃめちゃ盛り上がりますし、ミスをすれば、コートに入ってくるのではないかというほど怒ります。一緒に戦っていると言いますか、熱い人たちばかりで、とてもやりやすい環境だと思いました。盛り上がりの中でアドレナリンが出て、自分のプレーが上がってくるんです。チームに合流してすぐ、モデナ戦(現地2021年12月18日)に少しだけ出場したときに、いろいろなファンの方から「ウェルカム」と言ってもらいました。イタリアに住んでいる日本人の方も応援してくれるので、わからないことを教えてもらったり、とてもサポートしていただきました。
――試合は満員の中で行われたのでしょうか?
髙橋 コロナ禍なので、少し制限されていました。でも終盤は通常の状態に戻ってきて、マスクは着用ですが、たくさんの観客が入っていました。
――イタリアと日本で、有観客の試合に違いはありましたか?
髙橋 日本とはまったく違う感覚でした。日本ではかなり見られていて、プレッシャーや緊張感があります。海外の場合、ある意味緊張感がないというか…、音楽が大きいのもあり、バレーボールをやりやすいと感じました。
――チームメートとの交流はいかがでしたか?
髙橋 マッティア・ボットロやフェデリコ・クロサト(ともにイタリア)は年齢が近く、よく話しました。特にボットロは日本のアニメが大好きで、『ONE PIECE』の話で盛り上がりました。ボットロはかなり詳しくて、自分よりも見ているんじゃないかな、というほどです。
――先輩との交流はいかがでしたか?
髙橋 キャプテンのフォックス選手(マルコ・ボルパトの愛称/イタリア)が31歳、ヤン(・ツィンマーマン/ドイツ)選手が29歳なのですが、すごくフレンドリーでめちゃめちゃ距離が近いです。海外だからなのかもしれませんが、年の差を感じず、一緒にカフェに行ったときもヤンから誘ってもらいました。その中で、バレーボールの話はもちろんプライベートの話もして、コミュニケーションが増えました。海外にいる日本人は多くないので、レアなのでしょう。日本のことをたくさん聞かれましたし、「日本のここに行ったよ」という話もしました。あらためて、日本ってとても魅力的なんだな、と感じました。
――対戦してみて、ワクワクした選手はいましたか?
髙橋 どのチームにも最高峰のプレーヤーが多いのですが、その中で印象に残っているのは(ウィルフレド・)レオン選手(ポーランド)です。132kmのサーブを受けて、シンプルに「すごいな」と感じました。目は追いついていましたが、捕った感覚やボールのスピードは初めての感覚で、思った方向に飛んでいかず「これが世界最速のサーブか」と実感しました。「このサーブを返したい」と強く思いましたし、こういう一つ一つの気持ちが、自分の成長につながっていくのでしょう。
――では今回の海外挑戦を経て、世界は変わりましたか?
髙橋 かなり変わりました。チームメートにはいろんな国の選手がいるので、コミュニケーションをとることで、まず世界が大きく広がりました。そこからつながりもどんどん増えて、選手としての知名度も上がってきて、注目されることが自分自身のプレッシャーになり、強くなることにもつながると思います。イタリアに来て、日本人にはこういう選手がいるとをいろんな選手に知ってもらえただけでも、自分自身が強くなっていく糧になると感じた4ヵ月でした。
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