今年6月から福岡と山口でスタートした、バレーボールの小学生大会「つながるリーグ」。元・女子日本代表の益子直美さんが提唱した、試合中に“監督が怒ってはいけない”というルールを設け、単発の大会ではなく、半年間に及ぶリーグ戦形式へと発展させたものだ。そこには、益子さんと同じ思いでバレーボールの現場に向き合う一人の女性の存在があった。
<つながるリーグ2022福岡で見られた光景。益子さんたちは参加した選手たちと積極的に言葉を交わした>
福岡で「益子直美カップ」を開催
福岡で、益子さんが大会を始めたのは2015年のこと。自身の名前を冠する大会を開催することに憧れはあったが、同時に益子さんの中には一つの懸念があった。
「まだ当時は、子どもたちが指導者に怒られる姿を見ることが多かったんです。私の大会だけは、楽しい時間にしたいな、って。でも、そんなことを言える時世でもなかったから…」
そうして迎えた大会前日。福岡での大会を取りまとめ、現地で小学生チームを指導する北川新二さん・美陽子さん夫妻に、益子さんは思いをぶつけてみた。
「私の大会で、子どもたちが怒られている姿は見たくないから、“怒ってはダメ”というルールを設けてみたいんだけど…、どうかな?」
すると、北川さん夫妻の目もキラリと輝いた。
「それ、いいね!!」
翌日、開会式でそのルールを発表すると、参加チームからは困惑にも似た反応が返ってきた。それでも、益子さんには描く風景がある。
今につながる、次代の指導の在り方が産声をあげた瞬間だった。
<福岡大会では参加した小学生たちの笑顔がコートでキラリ>
北川美陽子さんが指導者になって犯した過ち
「私も最初は選手たちを怒っていたんです。そのつもりで始めたわけではなかったのに」
そう振り返るのは、大会に携わる北川美陽子さんだ。益子さんの2つ年下で、高校時代は全国制覇の実績を持つ福岡の名門・博多女高でプレーした経歴を持つ。だが、今では到底許容されない当時の指導を受ける中、結果として心も体もバレーボールから遠ざかった。
「バレーボールが大嫌いでした。テレビでも見ないし、それこそ当時活躍していた選手は誰も知らないくらい。夫にも結婚するまで一切、口にすることがなかったですから」
夫の北川新二さんが知ったのは、結婚を控え、仲人にお互いのプロフィルを伝えるタイミング。「実は…、って。実業団でもバレーボールをやっていたのに、全然そのことは言わなかった。そうなの!? って、びっくりしました」と新二さん。美陽子さんにとって、バレーボールは嫌悪の対象になっていた。
そんな中、自身に子どもができたことをきっかけに、美陽子さんは再びボールを手にとる。
「子どもがバレーボールを始めたいと言ったので、それなら、と。地元にチームや小学校に部活がなかったから、自分たちでチームをつくることにしたんです。私も、小学生のカテゴリーだったら楽しくやれるかな、と思っていました」
だが、目の前には、かつて自分が味わった“嫌い”な世界そのものが広がっていた。
「いざ、ジュニア(小学生)に飛び込んで、周りのチームを見ると愕然としました。いわば私たちの時代の高校生の“小学生版”。叩かれ、暴言が飛び交い、ボールがぶつけられ、それでいて勝利至上主義。最初は、私自身も躊躇(ちゅうちょ)しました」
一方で、美陽子さんが県の強豪校出身であることが周囲に知れ渡り、次第に自身も飲み込まれていく。
「ばれたことで、周りの目も変わっていったんです。『北川さんが指導するなら、このチームは絶対に強くなるね』みたいな声が、私にも届いてくる。保護者も『このチームなら子どもが上手になる、強くなれる』という思いが強くなっていきました。
私も、そうならないとダメだ、みたいな暗示にかけられた感覚でした。手を出すことはありませんでしたが、とにかく練習はケガ人が出るくらい激しかったですし、休みのたびに練習試合を組んで、大会にも呼ばれるたびに参加しました」
その結果、確かにチームは強くなった。そして、それと比例するように、美陽子さんの心労は貯まった。
「どんどん子どもたちを追い詰めていっていることに、そのときは気づいてないんです。私はそれが嫌でバレーボールをやめたのに。でも後戻りができないから、自分で自分の首を絞めていく。最後の2年ほどは、なんでこんなことをやっているんだろう、もうやめたい、と家族に言い続けていました」
<夫の北川新二さんはバレーボール経験者ではなく、最初は指導現場を目にして驚くばかり。だからこそ、美陽子さんの考えに理解を示し、背中を押すことができたという>
>>><次ページ>再出発と、益子さんとの出会い
<一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会のパートナーアスリートである齋藤真由美さん(群馬銀行グリーンウイングス監督/中央ピンク色のシャツ)と北川美陽子さん(同右)>
再出発と、益子さんとの出会い
やがてチームの部員数は減少していった。「北川さんのチームは厳しい」といったうわさが広まり、また少子化の波も少なからず及び、わずか1人に。その部員が卒団したことで、一度リセットすることを決めた。
それは、ちょうど自分の子どもが幼稚園から小学生に上がるタイミングでもあった。部員1人から、またスタートしよう。今度は、違うやりかたで。北川さん夫婦は決意した。
「自分がもともとやりたかったバレーボールを、誰にも邪魔されることなく、絶対にぶれないようにやろうと話し合ったんです。それを始めたら、次第に部員もまた増えていきました」(美陽子さん)
そんなときに、共通の知り合いを通じて、益子さんとの出会いが実現した。いざ、益子さんが福岡に足を運び、北川さん夫婦が新しく立ち上げたチームの姿を見ると、そこには子どもたちが笑顔でバレーボールに励む風景が広がっていた。
「ここで大会をやろう」
そうして、2015年に「第1回益子直美カップ小学生大会」が実現する。それは益子さんと美陽子さん2人の思いが共鳴したからこそでもあった。
「聞けば、美陽子ちゃんも私と一緒で、練習や試合が大嫌いで学校にも行けないほどのトラウマを抱えているタイプでしたから」と益子さん。美陽子さんも、指導する立場となって「そこで一度過ちを犯した経験があるから、今がある」と言ってやまない。それゆえに、益子さんが“監督が怒ってはいけない”というルールを持ちかけたとき、一片の迷いもなく賛同したのであった。
2021年4月、益子さんと北川さん夫婦は「一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会」を設立した。明確にスタンスを打ち出し、そのうえで指導の在り方を探っていく。大会を続けていく中で、新たな気づきもあった。
「怒ってはいけないのは、監督や指導者だけでなく、保護者も同じ。それを伝えると、先生や指導者の方々のプレッシャーが減ったんですね。怒らなくていいのは自分たちだけじゃないんだ、って。保護者の方々の理解もある中で、安心して指導される姿が見られました」(美陽子さん)
「ひと言、保護者の方々にも伝えたことで、大会の雰囲気もぐっと変わりました。その安心感は指導において大きかったかもしれません。毎回、気づきがありますね」(益子さん)
封印もしたし、過ちもあった。けれども、バレーボールを通して子どもたちに成長してもらいたい、その思いは変わらない。それをこれからは、いかに最適な方法で実現に結びつけるかだ。
<大会を温かい目で見守る北川さん夫婦(写真中央)>
(取材・文/坂口功将)
つながるリーグ開幕に込めた思いや大会の模様は
好評発売中の「月刊バレーボール」2022年8月号に掲載
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