サイトアイコン 月バレ.com【月刊バレーボール】

[連載③]ルーキー横田紗椰香が明かしたデンソーとの深いつながり/「50年目にBEE CHAMPION」

 1972年に創部され、2022年に50周年を迎えたデンソーエアリービーズ。その節目の年に掲げたスローガン「BEE CHAMPION」の元、2022-23 Vリーグではその言葉に記された頂を目指す。半世紀を経て、次にチームが歩む先は。全4回の連載企画、第3回は幼少期からデンソーエアリービーズにゆかりがあった選手の思い

 

 

今年のエアリービーズ杯で、古巣に凱旋

 

 今年6月25日、愛知県西尾市の体育館に足を踏み入れたときに、横田紗椰香は記憶が一気によみがえってくるのを感じた。

 

 「ここ、西尾市だったんだ」

 

 その日、デンソーの選手たちが参加したのは、チームの冠大会である「エアリービーズ杯小学生女子大会」。今年で11回目を迎えるこの大会は愛知県内の小学生チームが参加し、その中には、横田の出身チームである豊田JVCも。横田自身は小学生時代にエアリービーズ杯の第3回大会に出場している。偶然にも、そのときと会場が同じだった。

 

「小学生の頃は、どこの体育館で試合をしているなんて分かっていませんでしたから(笑) ですが、記憶していた場所と今回の会場が同じだったこともあって、懐かしさがこみあげてきました。

 

 それに、豊田JVCの監督さんもユニフォームも、私が在籍していた当時と変わらなくて。なんだか不思議な感覚でした。当然、初めて接する“後輩”たちなんですけど、ものすごくかわいく見えましたし、ものすごく頑張ってほしいと思いました」

 

 大会ではデンソーの選手たちが参加した各チームに携わり、アドバイスを送るのが恒例となっている。当初、横田は別のチームをあてがわれていたそうだが、チームメートたちの計らいで、卒団チームを受け持つことになった。

 

 「とにかくうれしかったです。私と一緒にやっていた子の妹が、在籍していたりして。当時、赤ちゃんだった子が大きくなってバレーボールをしていると知って、もういろんな感情が(笑) うれしかった…、その言葉しか出てこないですね」

 

<出身チームである豊田JVCを受け持つことになった横田(写真:チーム提供)>

 

「もう一緒に応援していました」と笑顔

 

「私も、ここの卒団なんだよ」

 

 横田がそう、選手たちに伝えると、その目はよりいっそう輝きが増したという。監督も子どもたちへ「OGだから、質問するんだよ」と伝えたそうだが、実のところ横田自身はアドバイスというアドバイスをしていない。ただひたすら「元気を出して、頑張ろう!!」とエールを送っていた。

 

 「特に、ベンチにいた子たちと会話していました。試合に出たいけど、監督に言いにいく勇気がない子がいて、『大丈夫。言っておいでよ』『代わりに言ってあげようか?』とか。その子は『でも、いい』と首を振っていたんですけど、いざ試合に出られるようになると、すごくニコニコしていて!! やっぱり試合に出るのは楽しいよね、と思いながら、『頑張ってきてね』と伝えました。

 

 ほかにもベンチにいた子が、疲れたという声を上げていたのですが、『声を出したら、チームが勝てるかもしれないよ』って。もう一緒に応援していましたね(笑)」

 

 横田は卒団後、中学は長野県(裾花中)、高校は宮城県(古川学園高)、大学は神奈川県(東海大)と地元・愛知県を離れて、学生時代を過ごしてきた。それだけにこの日、Vリーガーとなって“里帰り”を果たしたときの喜びは格別だった。

 

<アップゾーンに控える選手の背中を後押し(写真:チーム提供)>

 

>>><次ページ>いつも決断にはデンソーへの意識が

<幼少期からなじみのあったチームのユニフォームを着る。写真は今年のV・サマーリーグ>

 

いつも決断の際には、少なからずデンソーへの意識が

 

 振り返れば、高校進学、大学進学と節目で自分の未来を決断するとき、いつも横田の胸の中には、生まれた愛知県への思いがあった。だからこそ、Vリーグでもトップのレベルを戦うチームが自分の地元にあること自体がありがたかった。小学生の頃にエアリービーズ杯で直接触れ合い、ただ「すごい!!」「大きい!!」と目を丸くしたバレーボール選手たちがデンソーエアリービーズの面々だったことも、意識の中には常にあった。

 

 「姉(横田真未)のデンソー入団が決まったときも、『愛知に戻るんだ』って。自分もいけるかな、入れるなら地元のデンソーがいいな、と思っていました。姉妹だから選んだ、というよりも、私の中では『地元でバレーボールがしたい』がいちばんでしたね」

 

 結果としてデンソーへの入団が決まり、大学在籍時に採寸で届いたユニフォームの袖にすぐ腕を通した。シャツネームは姉が「YOKOTA」で、自分は「SAYAKA」。着用した姿の写真を家族に送ると、「いい感じだね」「かっこいいね」と反応が返ってきた。

 

 これからデンソーエアリービーズの一員になる。そう実感した瞬間だった。

 

「小学生の頃の自分に、『Vリーガーになれたよ。あのチームに入りたい、と思っていた夢がかなったよ』と伝えたいですね。バレーボールをやめたいと思ったことはなかったですし、ケガをしてもあきらめずに頑張ってこられたから今があると思えたので」

 

<同じチームに姉が在籍するため、シャツネームは「SAYAKA」>

 

あきらめないことの大切さと、好きだという気持ち

 

 一人のバレーボール選手として過ごす今、チームのアカデミー事業や普及活動で子どもたちと接する機会は少なくない。そこでは笑顔で元気に接することを心がけている。

 

「相手も、いい気分になれるはず。それに、デンソーの選手を応援したいな、と思ってもらえたら私たちにとってもプラスになるので。そうしたウィンウィンの関係はどんどん築けていけたらなと思うんです」

 

 小さい頃の夢を一つかなえた今、横田に聞いてみた。次世代を担う子どもたちへ大事にしてもらいたいこととは。

 

「ひょっとしたら小学生だと、まだ夢を現実的に考えることはないのかもしれませんが、夢があるならそこに向かって挑んでほしいです。あきらめないことはやっぱり大事かなと思うので。

 

 それにどんなことも、好きでなければ続かないですよね。もしバレーボールをしていたとして、しんどいな、疲れたな、と思って一日二日、ボールから離れてみて、『やっぱりバレーボールがしたい』と思えたら、それはもう“好き”なんですよ。自分がそうでしたから(笑)

 

 好きだな、楽しいな、という気持ちを忘れずに過ごしてきた中で、夢や目標もどんどん変わっていきました。もちろん、目標を達成するためには努力をしなければいけないとは思います。けれども、そこには夢に一歩ずつ近づけている自分がいるはず。あきらめないで、夢を追い続けてほしいなと思います」

 

 あきらめないことの大切さを、横田は身をもって知っている。そこにはいつだって“バレーボールが好き”という思いがあった。

 

 そうして、次なる夢への歩みが始まろうとしている。このチームに少しでも貢献すること。創立50周年の節目に初のリーグ優勝を目指すデンソーエアリービーズというチームに、だ。

【最終回に続く(近日公開)

 

「デンソーの選手を応援したいな、と思ってもらえたら、私たちにとってもプラスになる」-横田(紗)

 

(取材・文/坂口功将〔編集部〕)

モバイルバージョンを終了