「後悔は一生残る」 東北高 小山暖人が春高で最後まで貫いたストイックさ 『2人の“はると”《前編》』
- コラム
- 2023.02.16
白河二中(福島)3年生時に全日本中学生選抜入りを果たした
もどかしかった2年間を乗り越えて、ようやく立てた春高の舞台
それまでの2年間でいえば、小山自身は悔しさのほうが大きかった。
中学3年生時、その年の全日本中学生選抜に選出され、オーストラリアへの海外遠征を経験している。将来を有望視される一人として、日本代表を夢に描き、高校という次のステージに進んだ。だが、実際は全国大会に届かない日々が続く。
一方、全日本中学生選抜で一緒に戦ったメンバーは、各校の主力としてプレーし、全国の舞台で結果を残していた。3年目にして、ようやくインターハイに出場できた際、小山は胸の内をこう明かしている。
「みんながそれぞれのチームの中心選手として戦うのを見て、自分も頑張らなきゃ、と思っていました。でも現実はそうでなくて…、やっぱりもどかしかったです。
俺もみんなについていかないと!! それに、あのとき全中選抜に選ばれなかった選手たちも、今の自分より上の成績を残していたりするので。もっともっと成長したいと思います」
そうして成長した姿を見せる最初で最後の、そして最高の舞台が今回の春高だった。小山の性格を知る側からすれば、肩にはあふれんばかりに力が入り、勇ましくプレーするのだろうな…、とは容易に想像できた。けれども、実際は異なった。
エースの④安食と2枚看板を形成し、日本一を目指した
現実は厳しかった。それでも東北高での3年間は…
結果として最後のゲームとなった鎮西高戦では、しっかりと相手を見極め、得点を重ねた。エンドラインに立てば、狙いどおりにサーブを打ちこんだ。
「自分はサーブに自信があったので。どのチームもエースの舛本選手を狙うと思うのですが、どれだけ崩しても最後は彼が打ってくるので。それならば、ほかの選手にサーブを集めて、相手の選択肢が舛本選手しかない状況をつくろう、そこからブロックディフェンスで自分たちのペースに持っていこう、と考えていました。そこはうまくはまっていた印象です」
冷静に、チームの戦術を遂行してみせた。それは小山の成長であり、集大成ともいえた。
チームを勝たせる、その1点をとりきることはできなかった後悔は確かに残るだろう。それでも、東北高で過ごした時間を振り返り、こう締めくくった。
「3年間、日本一という目標自体がどれだけ難しいものかを味わえました。それまでの取り組みや経験してきたことがあって、ようやく頂点にたどり着けるんだろうな、と。その点では詰めきれない部分はあったと思います。けれども、それをこのメンバーで目指せたこと自体が楽しかったし、自分は幸せでした」
そう話す表情は、ストイックなそれとはまるで対照的な、やわらかいものだった。
最後はキャプテンマークをつけてプレー。名門校での3年間を終えた
(文/坂口功将〔編集部〕)
春高アフターストーリーは
現在発売中の「月刊バレーボール」3月号で”カラー”掲載!!
お求めは⇒【NBPオンラインショップ】へ
【関連記事】
駿台学園が全員バレーで逆転勝利、日本一をつかみ取る【春高2023】
2023全日本ジュニアオールスタードリームマッチ出場選手【男子】
【次ページ】〔秘蔵写真15点〕佐藤遥斗や當麻理人、脇田孝太郎ら令和元年度全日本中学選抜の海外遠征ギャラリー