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「後悔は一生残る」 東北高 小山暖人が春高で最後まで貫いたストイックさ 『2人の“はると”《前編》』

 

 

 高校生バレーボーラーにとっての集大成、「春の高校バレー 全日本高等学校選手権大会」(以下、春高)が今年1月上旬に行われた。男子は駿台学園高(東京)が頂点に輝き、エースの佐藤遥斗(さとう・はると/3年)が最優秀選手に選ばれている。その佐藤と同じ名前で、そして、かつて全日本中学生選抜でともに過ごした2人の“はると”もまた、高校生活最後の春高を戦い抜いた。東北高(宮城)の小山暖人と、福井工大附福井高(福井)の谷口暖宗。彼らが高校生活最後の晴れ舞台で見せた姿を、ここに記したい(全2回)

 

《前編》監督があきれるほどストイックな小山暖人が最初で最後の大舞台で見せた姿

 

 

小山暖人(こやま・はると/東北高〔宮城〕3年/身長184㎝/最高到達点331㎝/アウトサイドヒッター)

 

3回戦で鎮西高を相手にマッチポイントをにぎってみせた

 

〔秘蔵写真15点〕佐藤遥斗や當麻理人、脇田孝太郎ら令和元年度全日本中学選抜の海外遠征ギャラリー

 

 今年の春高を彩った選手でいえば、鎮西高(熊本)の舛本颯真はその一人だろう。アンストッパブルなパフォーマンスを披露し、準優勝に輝いた。その鎮西高と舛本を、敗れた決勝戦を除いて最も追い詰めたのが3回戦で対戦した東北高(宮城)だ。3セットマッチのフルセットに持ち込み、ついにはマッチポイントに到達してみせた。それでもひっくり返してみせた点が、今年度の鎮西高の強さだったのだが。

 その試合後、東北高のキャプテン、小山暖人はミックスゾーンに顔を出すやいなや、開口いちばんに悔しさを吐き出した。

 「あと一歩でした。うん、あと一歩!! ほん…、っとうに悔しいス」

 こちらに伝わってくるほどに、歯を食いしばりながら、インタビューに応える。その中で最も熱がこもったのは、戒めにも似た自身への反省だった。

 「結果的にジュースまで持ち込めて、チームの持ち味であるブロックからリズムをつかむことはできていました。ですが、最後は軸であるエースの安食浩士と自分が決めきれなかった。ここまで戦えた達成感はありますが、決めきれなかった後悔は自分の中で一生残ると思うんです。仲間たちはほんとうに最高のプレーをしてくれただけに、その一点に尽きると思います。なので、今は後悔が、自分の中ではいちばんですね」

 役目を果たせなかった自分と向き合い、自らを問い詰める。それは気持ちの強さの裏返しでもある。もし、目指していた日本一の夢をかなえていれば、違っていたかもしれないが、それでも最後までストイックな点は、実に彼らしくもあった。

 

国体王者撃破まであと一歩に迫った

 

思いの強さゆえに。春高県予選決勝は「いちばん緊張した」

 

「彼はストイック過ぎる、ほどなんです(笑) ときには、部員どうしで意見をぶつけ合ったりもしていました。何より自分で背負い込んでしまうタイプで、力が入り過ぎてしまう」

 東北高を指揮する吉田康宏監督は、小山の人柄についてそう語った。プレーレベルでいえば、1年目からレギュラーに入れるほどの高さは備わっている。けれども、みなぎる闘志はりきみにつながり、なかなか本来の力を出せないのだという。

 例えば、3年目の春高県予選決勝もそうだった。それまでの2年間、県予選決勝でライバル仙台商高に敗れ、春高には届かなかった。“3度目の正直”を叶える最後のチャンスだけに当然、気合いはみなぎる。

「今回の決勝が今まででいちばん力が入りましたね。うまくプレーできなかった…、全然だめでした。ここに立つと、緊張しちゃうんですよ。この2年間、いろいろあったので」と小山。

 りきんでしまった自覚があるだけに、春高の切符をつかんでも苦笑いを浮かべた。

 

2年生時の春高県予選決勝。負傷退場し、痛みで顔をゆがめる

 

 振り返れば、1年目の県予選決勝は、仙台商高のコンビバレーに太刀打ちできなかった。2年目は試合途中で足をネンザし、チームが敗れる姿をコートの外から眺めるしかなかった。そんな“いろいろなこと”が、思いの強さを生むのは当然だった。

 そんな小山に吉田監督は県予選決勝前に、ある願掛けを施したほど。小山はどこかうれしそうに振り返った。

 「先生が自分の足に塩をふったんですよ。なんか足にかかった? って思ったら、塩でした(笑) 1年前に足をケガした自分に対して『これでおはらいだ』って」

 

 

「今まででいちばん力が入った」という3年目の春高県予選決勝

 

【次ページ】もどかしかった2年間を乗り越えて、ようやく立てた春高の舞台

 

白河二中(福島)3年生時に全日本中学生選抜入りを果たした

 

もどかしかった2年間を乗り越えて、ようやく立てた春高の舞台

 

 それまでの2年間でいえば、小山自身は悔しさのほうが大きかった。

 中学3年生時、その年の全日本中学生選抜に選出され、オーストラリアへの海外遠征を経験している。将来を有望視される一人として、日本代表を夢に描き、高校という次のステージに進んだ。だが、実際は全国大会に届かない日々が続く。

 一方、全日本中学生選抜で一緒に戦ったメンバーは、各校の主力としてプレーし、全国の舞台で結果を残していた。3年目にして、ようやくインターハイに出場できた際、小山は胸の内をこう明かしている。

「みんながそれぞれのチームの中心選手として戦うのを見て、自分も頑張らなきゃ、と思っていました。でも現実はそうでなくて…、やっぱりもどかしかったです。

 俺もみんなについていかないと!! それに、あのとき全中選抜に選ばれなかった選手たちも、今の自分より上の成績を残していたりするので。もっともっと成長したいと思います」

 そうして成長した姿を見せる最初で最後の、そして最高の舞台が今回の春高だった。小山の性格を知る側からすれば、肩にはあふれんばかりに力が入り、勇ましくプレーするのだろうな…、とは容易に想像できた。けれども、実際は異なった。

 

 

エースの④安食と2枚看板を形成し、日本一を目指した

 

現実は厳しかった。それでも東北高での3年間は…

 

 結果として最後のゲームとなった鎮西高戦では、しっかりと相手を見極め、得点を重ねた。エンドラインに立てば、狙いどおりにサーブを打ちこんだ。

「自分はサーブに自信があったので。どのチームもエースの舛本選手を狙うと思うのですが、どれだけ崩しても最後は彼が打ってくるので。それならば、ほかの選手にサーブを集めて、相手の選択肢が舛本選手しかない状況をつくろう、そこからブロックディフェンスで自分たちのペースに持っていこう、と考えていました。そこはうまくはまっていた印象です」

 冷静に、チームの戦術を遂行してみせた。それは小山の成長であり、集大成ともいえた。

 チームを勝たせる、その1点をとりきることはできなかった後悔は確かに残るだろう。それでも、東北高で過ごした時間を振り返り、こう締めくくった。

「3年間、日本一という目標自体がどれだけ難しいものかを味わえました。それまでの取り組みや経験してきたことがあって、ようやく頂点にたどり着けるんだろうな、と。その点では詰めきれない部分はあったと思います。けれども、それをこのメンバーで目指せたこと自体が楽しかったし、自分は幸せでした」

 そう話す表情は、ストイックなそれとはまるで対照的な、やわらかいものだった。

<後編:谷口暖宗に続く>

 

最後はキャプテンマークをつけてプレー。名門校での3年間を終えた

 

(文/坂口功将〔編集部〕)

 

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