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春高2025

Vリーグもビーチでの五輪もありえた? 早稲田大 中澤恵が多くの可能性から競技引退を選んだ理由とGSS東京で見せたい姿

  • V男子
  • 2023.02.18

 

 

 VリーグのDIVISION2 WOMENのGSS東京サンビームズで年明けからプレーする、早稲田大4年の中澤恵。中高と日本一を経験し、女子日本代表のアンダーエイジカテゴリーにも選出された彼女は、将来を有望視された選手といえるだろう。けれども、Vリーグでプレーすること自体は、大学を卒業するまでの限定的なもの。すでに競技引退を決めており、この春からは一般企業に就職する。その選択に至った理由を明かした

 

 

中澤恵(なかざわ・めぐみ/2000年5月28日生まれ/身長172㎝/最高到達点295㎝/金蘭会高〔大阪〕→早稲田大、GSS東京サンビームズ/アウトサイドヒッター)

 

昨年末にGSS東京に登録され、年明けにV2女子でデビューを飾る

 

〔ギャラリー〕中澤恵 GSS東京でのデビュー戦の様子

 

 今年1月14日、荒川スポーツセンター(東京)。紫色のユニフォームに背番号「12」で、シャツネームは「NAKAZAWA」。この日、リガーレ仙台をホームに迎えたGSS東京サンビームズの中澤恵はVリーグデビューを飾った。試合後にはホームゲームイベントとして、サイン会にも登場している。そこでは持ち前の笑顔がキラリと光った。

 「『ありがとうございます!!』『今日がデビューなんで応援よろしくお願いします!!』って元気よく言えました(笑) ふだん見ていたV1との雰囲気の違いは感じたのですが、何より、自分の名前がユニフォームに入っているのが代表(アンダーエイジカテゴリー)以外では初めてだったので。学生だと番号だけなので、特別な感じがしました」

 

 

新年最初の開催週でホームゲームに臨んだGSS東京

 

 その試合ではフル出場を果たし、アタックの打数とサーブレシーブの受け数はチーム最多。アウトサイドヒッターとして、攻守両方でのパフォーマンスが求められた。けれども、1-3で敗れたことに加え、アタック決定率は19.5%と低調に終わり、試合後には苦い表情を浮かべていた。

 「チーム自体も仙台には前回の対戦時にかなりやられたみたいで、簡単にはいかないだろうな、と思っていました。それに、私自身は初めての試合だったので『失うものはない、思いきってやろう』と試合に入ったのですが…、思った以上にうまくいかない自分がいて、全然だめでしたね」

 そんな“ほろにがデビュー”も、Vリーグのステージも、そしてバレーボールができることも。本人の中ではすべてが、素直に楽しいと思える。これが最後、と決めているからだ。

 

 

就職にむけた準備もあり、デビュー戦前日のチーム練習には参加できなかったというが、エースとしてボールを託された

 

自分の力はどれほどなのかを測りながら過ごした大学生活

 

 バレーボールは大学まで。卒業後は社会人として企業に就職する。

 その中澤の決断に対し、周囲からは「なんで?」「もったいない」という声が注がれた。本人も当然悩んだが、自分自身と目いっぱい向き合ったすえの答えだった。判断材料の一つが、自分の力量をきちんと測ったこと。それは早稲田大に進学したときから胸に留めていた。

 「入学した時点でチームは関東大学リーグ2部。自分がエースとして1部に上げられないのであれば、トップのステージでやっていく技術や資格があるのかな、とは思っていたんです。自分の力で上げられないのにVリーグでやっていけるわけがない、みたいな指針は私の中でありました」

 高校までは主にミドルブロッカーだったが、大学ではアウトサイドヒッターに転向し、エースとして攻守で大車輪の活躍を見せた。入学2年目からはコロナ禍もあり、部活動も十分にできたとはいえなかったが、ときには世代トップ選手がそろう男子バレーボール部にまじって練習し、そこで強打を受けるなどレベルアップに尽くした。

 

 

関東大学リーグ2部を戦う早稲田大で文字どおりの大黒柱を担った(①が中澤)

 

 それでも結果として、チームを上げることはできなかった。もし1部昇格を果たせていたら、また違う道を歩んでいた…?

「かもしれないですね。そこははっきりしていたので。Vリーグか、ビーチバレーボールをやっていたかも。それだけ自分に自信を持てたなら」

 実際にVリーグのDIVISION1のチームから誘いもあったし、ビーチバレーボール界は関係者たちがもろ手をあげて歓迎していたという。そこでは「オリンピックを目指せる」という魅力的な言葉もあった。

「中学、高校時代の自分だったら胸が熱くなって、『ありがとうございます!!』『オリンピックに行くぞ!!』ってなっていたはず(笑) でも、そこまでの覚悟を持てなかったし、実際に就職活動を始めてみて自分の可能性や成長を考えたときに、バレーボールだけで人生が終わるのはもったいないな、という気持ちがあったんです」

 

 

自分のことを最もわかっているのは、ほかでもない自分自身。己の力量を確かめ続けた(①が中澤)

 

【次ページ】「バレーボールを嫌いになってやめたくなかった」

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