VリーグのDIVISION2 WOMENのGSS東京サンビームズで年明けからプレーする、早稲田大4年の中澤恵。中高と日本一を経験し、女子日本代表のアンダーエイジカテゴリーにも選出された彼女は、将来を有望視された選手といえるだろう。けれども、Vリーグでプレーすること自体は、大学を卒業するまでの限定的なもの。すでに競技引退を決めており、この春からは一般企業に就職する。その選択に至った理由を明かした
昨年末にGSS東京に登録され、年明けにV2女子でデビューを飾る
今年1月14日、荒川スポーツセンター(東京)。紫色のユニフォームに背番号「12」で、シャツネームは「NAKAZAWA」。この日、リガーレ仙台をホームに迎えたGSS東京サンビームズの中澤恵はVリーグデビューを飾った。試合後にはホームゲームイベントとして、サイン会にも登場している。そこでは持ち前の笑顔がキラリと光った。
「『ありがとうございます!!』『今日がデビューなんで応援よろしくお願いします!!』って元気よく言えました(笑) ふだん見ていたV1との雰囲気の違いは感じたのですが、何より、自分の名前がユニフォームに入っているのが代表(アンダーエイジカテゴリー)以外では初めてだったので。学生だと番号だけなので、特別な感じがしました」
その試合ではフル出場を果たし、アタックの打数とサーブレシーブの受け数はチーム最多。アウトサイドヒッターとして、攻守両方でのパフォーマンスが求められた。けれども、1-3で敗れたことに加え、アタック決定率は19.5%と低調に終わり、試合後には苦い表情を浮かべていた。
「チーム自体も仙台には前回の対戦時にかなりやられたみたいで、簡単にはいかないだろうな、と思っていました。それに、私自身は初めての試合だったので『失うものはない、思いきってやろう』と試合に入ったのですが…、思った以上にうまくいかない自分がいて、全然だめでしたね」
そんな“ほろにがデビュー”も、Vリーグのステージも、そしてバレーボールができることも。本人の中ではすべてが、素直に楽しいと思える。これが最後、と決めているからだ。
自分の力はどれほどなのかを測りながら過ごした大学生活
バレーボールは大学まで。卒業後は社会人として企業に就職する。
その中澤の決断に対し、周囲からは「なんで?」「もったいない」という声が注がれた。本人も当然悩んだが、自分自身と目いっぱい向き合ったすえの答えだった。判断材料の一つが、自分の力量をきちんと測ったこと。それは早稲田大に進学したときから胸に留めていた。
「入学した時点でチームは関東大学リーグ2部。自分がエースとして1部に上げられないのであれば、トップのステージでやっていく技術や資格があるのかな、とは思っていたんです。自分の力で上げられないのにVリーグでやっていけるわけがない、みたいな指針は私の中でありました」
高校までは主にミドルブロッカーだったが、大学ではアウトサイドヒッターに転向し、エースとして攻守で大車輪の活躍を見せた。入学2年目からはコロナ禍もあり、部活動も十分にできたとはいえなかったが、ときには世代トップ選手がそろう男子バレーボール部にまじって練習し、そこで強打を受けるなどレベルアップに尽くした。
それでも結果として、チームを上げることはできなかった。もし1部昇格を果たせていたら、また違う道を歩んでいた…?
「かもしれないですね。そこははっきりしていたので。Vリーグか、ビーチバレーボールをやっていたかも。それだけ自分に自信を持てたなら」
実際にVリーグのDIVISION1のチームから誘いもあったし、ビーチバレーボール界は関係者たちがもろ手をあげて歓迎していたという。そこでは「オリンピックを目指せる」という魅力的な言葉もあった。
「中学、高校時代の自分だったら胸が熱くなって、『ありがとうございます!!』『オリンピックに行くぞ!!』ってなっていたはず(笑) でも、そこまでの覚悟を持てなかったし、実際に就職活動を始めてみて自分の可能性や成長を考えたときに、バレーボールだけで人生が終わるのはもったいないな、という気持ちがあったんです」
「バレーボールを嫌いになってやめたくなかった」
大学3年目から一般企業への就職を視野に入れて、大学4年目の自身の誕生日に内定が出た。その時点でもインドアやビーチなど選択肢は持っていたのが正直なところ。そこで中澤はペンを取り、書き出した。
どうしてこの道を選ぶのか? その場所でどうなりたいのか? どの部分で自分は悩んでいるのか。
そうするうちに、自分は内定先の企業で“こんな人間になりたい”という人物像が明確になった。そこに、バレーボール選手としての自分の姿はなかった。
それでも大事にしたかったのは、バレーボールを嫌いになってやめたくない、という思いだ。
「ありがたいことに私は仲間に恵まれて、裾花中(長野)でも金蘭会高(大阪)でも1年目からレギュラーでコートに立たせてもらえましたし、日本一を経験できました。でも、実際に自分の力で勝負してみたら、大学で1部昇格という結果には至らなかったわけで。ではVリーグに進んだら? コート内で活躍できる姿が想像できなかったし、ベンチを温める姿が容易に浮かんだんです」
それで嫌いになるくらいなら、区切りをつけて思いきりバレーボールと向き合おう。競技から身を引いて就職することを決意し、昨年秋には全日本インカレを大学生活最後の舞台と定めた。結果は2回戦で帝塚山大に敗れて終わったが、その試合は充実感で満たされた。
「全部ぶつけられました。それもぶつけてダメ、ではなくて、プレー自体はよかったんです。最後までバックアタックも拾われることはなかったですし、満足の出来。春高で優勝したときが自分のピークではなくて、『大学4年間で成長できた』と自信を持って言えたのがうれしかったです」
最後の大舞台は十分に満足のいくものとなった。ただ、心残りはあった。大学生活の大半をコロナ禍で過ごし、自分のプレーを見てもらう機会が少なかったこと。支えてくれた周りの人たちへの感謝を表現する場が限られたこと。
そんな思いがあったから、たとえ期間限定でもVリーグでプレーすることを選んだのであった。
競技生活の最後の瞬間に見せる表情は――
いざ、Vリーグの舞台に立つ。デビュー戦はGSS東京のホームゲームとあって、チームのファンたちが客席に並んだ。自分の姿を見てもらえている、と実感した。
「もともと目立ちたがりな部分があるので(笑) 高校時代も、インターハイよりも春高のほうが燃えるし、ここでやってやる!! みたいな気持ちになっていましたから。なので、(大学での)無観客試合は寂しかったです。
Vリーグにこうしてお客さんが見にきていて、誰が誰を応援しているのかはわからないですけど、自分の中では『見ている方々に楽しんでもらえるバレーがしたい』って思いました。それが今日(デビュー戦)はできなかったので…、そこは反省です。ただの学生プレーヤーではなく、Vリーガーとして応援してもらっている立場なので。責任感を持って臨みたいです」
全日本インカレをもって引退し、残りの学生生活を気ままに過ごしてもよかったが、当の本人にその考えは毛頭なかった。最後までバレーボールをとことんやりきる3ヵ月間。コートに立てば、私はこれが好きなんだ、と実感する。
「やっぱり点が決まったときに、みんなで喜んで、ハイタッチして、うわぁとなる。みんなと一緒になって一つのゴールを目指して、その成果を分かち合うのが楽しいな、って思います。自分が失敗しても、周りが背中を押してくれるし、一人じゃないんだな、って。自分がスパイクを決める楽しさよりも、そっちのほうがうれしいです」
4月になれば社会人として新生活が始まる。自分のバレーボール人生は、そこまで。ひょっとしたら未練や名残惜しさが湧いてくるかもしれないが、今は分からない。
「やめるという選択を後悔するかもしれないけれど、『やりたかったな』でいいと思います。知り合いたちはこの先もバレーボールを続けるし、おそらく私も見に行きますから。だから、あんまりバレーボールから離れる感じがしないんです。寂しいな、とかは全然なくて。
やめてから思うのかな。でも、いいですよね。それってバレーボールが好きだ、ってことだから」
ほんのわずかだが残りの競技人生を楽しみ、感謝し、そして笑っていることだろう。最後の瞬間がきたら――
「ありがとうございました!! って、顔をしていると思います」
そのときまで、いや、その先もきっと。彼女はバレーボールが好きだ。
(写真・文/坂口功将〔編集部〕)
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