「バレーあるある」で話題を集めるお笑い芸人のさとゆりさんのインタビュー、『わたしとバレーの話』を好評発売中の月刊バレーボール10月号に掲載。そのスピンオフエピソードをお届けします。
小学2年生のとき、「仲間外れにされたくない」という思いからバレーボールを始め、身長の高さに比例するようにめきめきと上達。中学3年生ではJOC杯(JOCジュニアオリンピックカップ 全国都道府県対抗中学大会)の兵庫県選抜として戦い、氷上高(兵庫)に進学したさとゆりさん。春高で準優勝し、輝かしい日々だった2年生からは一転、最後の1年は苦しい時間だった。
期待を集めた最後の1年間
――氷上高は全国常連校。そこでのバレーボールはいかがでしたか?
さとゆり 中学とは違ってみんなお姉さんに見えましたね。環境がガラッと変わって、甘えるところがないので一人の人間として自立して頑張ろうと思いました。
練習面では、やっぱり上下関係が厳しくなった印象はあります。氷上ならではのルールもありましたし、練習時間は長く、ストレッチや基礎基本、トレーニングも増えました。
2年生のときに、リベロに転向しました。中学まではエースポジションだったとはいえ、高校では守備型スパイカーでした。氷上のスパイカーは背が高い人も多く、2年生のインターハイが終わってから、春高はリベロでいくことに。もちろんスパイクを打ちたい気持ちもありましたが、スパイカー陣が自分より優れているというのは感じていましたし、自分がチームに貢献できるのがリベロなら、それで頑張ろうと思っていました。
――その春高で準優勝し、迎えた最後の1年。ご自身の役割はいかがでしたか?
さとゆり 自分で言うのもなんですが、裏のキャプテンみたいな感じでした。実際のキャプテンがあまり仕切れるタイプではなかったので、その子の相談に乗りながら、チームがうまく回るようにしていました。その上で、点検係という役割を担っていました。ユニフォームの数や、遠征に行くときの道具をチェックする担当ですね。
――1年間を振り返るといかがでしょう?
さとゆり 準優勝した翌年ということで期待されていましたし、ちゃんと結果を残さないとあかんな、というのは感じていました。もちろん勝つ気でしっかりやっていましたが、なかなか勝てず、うまくいかなかった1年だったと思います。高校生の私たちは、どうやったらチームが強くなっていくかもがきながら、監督に言われた通りに頑張るしかありませんでした。
自主性を重んじる大学バレー
――高校卒業後、大学に進学されました
さとゆり 愛知学院大に推薦で進みましたが、大学3年生のときにチームの方向性や監督の考え方と合わなくなり、「辞めます」と言いました。スタメンで試合にも出ていたので引き止められましたが、考えは変わらず…。バレーボール推薦で進学し、その部活を途中で辞めるのは今後にも響いてくるということで、大学4年生から学連に入りました。
――大学バレーでの印象はいかがでしたか?
さとゆり チームプレーというものに対して、上下関係と言いますか、誰かからの指示がなくても全然できるんやな、ということを感じました。監督ももちろんいますけど、自分たちで練習メニューを考えたり、トレーニングもやっていたので、自主性の面で高校生のときと大きなギャップを感じました。みんなで作り上げるものなんだな、と。これは4年生の学連でも感じたことです。4年生から学連に入る人はほとんどいないので、周りから不思議な目で見られましたが、学連に入って初めて大学リーグは学生たちで回していることを知りました。裏で努力してくれている人がいるから、試合ができていたのだと気づくことができました。
――卒業後は一度、教員になられたんですよね?
さとゆり 大学4年生のときにアナリストを務めていたこともあり、V2のチームでのアナリストも選択肢にありましたが、教員になって兵庫に戻る前提で愛知の大学に進んだこともあったので、氷上高で教員になりました。
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――ご自身では、幼少期から陰気な性格だとおっしゃっていました。お笑い芸人として、表に出たいと思うようになったのはなぜでしょうか?
さとゆり 恥ずかしがり屋ですし、今でも人前に立つときは緊張します。ですが、教員をやっていたように、人前で話すことは嫌いじゃないんです。NSC(養成所)時代、ちっちゃい舞台でもお腹が痛くなって立てないくらい緊張するのですが、舞台は麻薬と言いますか、笑ってもらえると、もう一回立ちたいと感じるようになって、徐々に人前でも堂々としゃべれるようにはなってきました。
――実際、周囲の人からの反響はいかがでしたか?
さとゆり 性格も相まって、「さとゆりが芸人になるとは思わなかった」とめちゃめちゃ言われました(笑)
――現在のバレーボールとの関わりはいかがでしょう?
さとゆり お笑いの勉強のためにも試合を見るようにしていますし、プレーをする機会は減りましたが、月に1回くらい誘われてやっています。
取材/白土 恵(編集部) 写真/山岡邦彦(NBP)
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