第76回秩父宮賜杯全日本バレーボール大学男子選手権大会(以下、全日本インカレ)を制した早稲田大。同年代を代表するエースと称されてきた、キャプテンの水町泰杜は有終の美を飾った。その水町がプレーする姿を見るために、谷武珍(愛知学院大4年)は会場へ足を運んだ。2人の関係を表すなら、幼馴染、親友、そして栄光をともにしてきた仲間…、どれも当てはまる。その目に映っていたのは――。
全日本インカレ準決勝を観戦した谷
12月2日、大田区総合体育館(東京)、全日本インカレ準決勝。その第1セット、早稲田大の水町が東海大のサウスポーエース飯田孝雅を一枚ブロックで仕留める。スタンドで観戦していた谷は目を丸くした。
「『サイドステップで、あれだけ腕出る!?』っていうくらいに高さが出てましたから。それにブロックのかたちも、めっちゃきれいやったし。まじで、しびれました」
結果として早稲田大がストレートで勝利し、優勝へさらに加速したこの試合で、谷が最も印象に残った場面に挙げたのが、そのブロックシャットだった。ちなみに、だが…。
「ラリー中に、相手のダブルコンタクトじゃないか、って主審に猛抗議しに行ったでしょ。あれも、泰杜らしいな、って思いましたけれど(笑)」
目に映る水町の一挙手一投足が、ほほえましかった。
「ほんとうにバレーが好きだし、感心しますから。どこにいても、『あぁ、泰杜や』って思います。
でも、大学がいちばん楽しそうですね。練習での様子はどうなのかわからないけれど、試合を見ているかぎりは、そう見えます」
とにかく楽しそうにバレーボールをするのは、谷も小さいころから知っている。何度も触れて、何度も感じてきた。
2人がチームメートになったのは小学生時代。地元の菊鹿クラブ(熊本)に入団したときに出会い、ともに初めての全国大会出場を経験した。以降、肩を組んで歩いてきた。
中学、高校では計3度の日本一を味わった
菊鹿中でも全国大会に出場。水町が2年生時にJOC杯(JOCジュニアオリンピックカップ全国都道府県対抗中学大会)熊本県選抜入りを果たしたとき、中学で迎えた新チームでは谷がキャプテンを務めた。やがて水町はエースとしてめきめきと頭角を現し、同年代をリードする存在になる。
翌年にはそろって熊本県選抜としてJOC杯制覇を成し遂げた。続く高校生活も一緒、寮も同部屋。その名門・鎮西高ではインターハイと春高の優勝を味わった。水町とともにつかんだ3度の日本一に、「ほんとうにね。おいしいところをもらえました」と谷は笑う。
そんな2人のキャリアも大学進学を機に袂を分かつことに。寂しいものだったかと言われれば、どうやらそうではなかったようだ。
「僕自身は、どちらかといえば楽しみでした。正直、対戦相手として一度はやってみたい、と思っていたので。同じチームだと『敵じゃなくてよかった~』と思うんですけどね(笑) 一緒にやっていたからからこそわかることもあるし…。だから、どうしても最後にやりたかったです」
「コイントスしたいね」と描いた直接対決
大学生活において公式戦での対戦はなかったが、実は今年の11月に練習試合で再会。谷はリリーフサーバーで投入されると、狙いを定めた。
「泰杜が一人でサーブレシーブを捕っているパターンが多かったので。手前にショートサーブを打って、崩して、が理想でした。案の定、普通に返されて、普通にサイドアウトをきられましたけど」
その試合後、水町は谷に「狙ってくんなよ」と伝えたそうが、その表情がどのようなものだったかは想像に容易い。
そうしてチャンスは、最後にめぐってきた。大学生活最後の全日本インカレは、お互いに勝ち上がれば3回戦でぶつかる組み合わせだった。
トークアプリのLINEで「やっと(山に)入ってきたね!!」と喜ぶ水町とは、「コイントスしたいね」と言葉を交わした。
だが、その願いはかなわずに終わる。愛知学院大は主力選手のコンディション不良に悩まされ続け、いざ大会本番では一回戦で慶應義塾大に敗れる。
勝負の世界では、こうした非情さが往々にして姿を現すもの。水町は「しようがないですよね」と受け止めたものの、LINEでは先に「何してん!!!!!!!」とメッセージを送っている。
谷は「全然だめだった」と嘆いた。
準決勝前日に聞いた活躍宣言
「勝ち上がって、早稲田との大一番で勝負したかったのが正直な思いだったので…、とにかく悔しかったです」
そう話す谷の大学バレーはこのとき閉幕した。ただ、LINEを続けるなかで、水町から誘いの言葉を受ける。
「最後くらい見に来やぁ」
もともと予定にはなかったが、水町がそう言うならば。
チケットは本人に手配してもらい、谷はレンタカーを借りて準決勝前日の深夜に愛知を出発。高速道路を飛ばし、朝には東京に到着して、会場に足を運ぶ。えんじ色の応援シャツを着て、チーム応援席に座った。
前日に電話した際には、大会が始まって早々に背中を寝違えたことを水町から明かされ、谷は「はぁ!?」とあんぐり。それでも「明日からは、がんがんギア上げていかんと」と頼もしい言葉を聞き、期待に胸を膨らませた。
その言葉どおり、水町はサーブにスパイク、それにブロックシャットに、とエンジン全開。加えて、熱く、激しく、何より満面の笑みを浮かべながらプレーする。その姿に――
「普通にかっこよかった。感情を出しているのが、おもしろかったですね。僕が見たかった泰杜の姿。ほんとうに見に来てよかった、って思いました」
翌日に予定があり、現地で観戦できたのはこの日だけ。再び車をかっ飛ばし、谷は決勝を見ることなく愛知へ帰った。
「誰よりもバレー馬鹿」だと再確認した瞬間
もしも、対戦が実現していたなら。高校時代、2人はこんなやりとりをしていた。
「武珍の上からスパイクを打ちます」(水町)
「(ブロックで)止めるか、僕も上からスパイクを打ちたいと思います」(谷)
「絶対に無理!!(笑)」(水町)
「言ったけんね!! 見ててください。頑張ります!!」(谷)
谷自身は主な役割がリリーフサーバーになったが、だからこそサーブレシーブに定評ある水町と勝負したいと願っていた。
「サービスエースを1本くらい奪いたかったです。ここでの1本が試合のゆくえを左右する、そんな勝負をしたかった!! 最後の最後に対戦相手として、1セットでも1点でも取ってみたかったです。
どうだろう。自分の100%の力を出せたとしても…、泰杜を崩せる確率は40%くらいかなぁ」
結局のところ、2人は最後までチームメートの関係だった。今年の特別国民体育大会では本戦出場こそならなかったが、成年男子の熊本県代表としてチームを組んでいる。それは特別な時間だった。
「幸せでしたね。勝負にこだわることを抜きにして、ジュニア(小学生)の頃のような純粋に楽しいバレーができたので。めちゃめちゃ楽しかったです」
その活動の最中、時間があればタブレットと向き合う水町の姿を谷は目にしている。画面には、同時期に合宿に励む早稲田大の映像が。
「チームを離れているけんね」
そう口にする水町に対して、谷は「ほんと、誰よりもバレー馬鹿だなぁ」と心の中でつぶやいた。
水町のことを語るとき、いつも谷はうれしそうだった
10年近くを同じチームで過ごし、喜びも悔しさも分かち合ってきた。学生バレー最後の4年間こそ別だったが、「連絡も取るし、帰省のタイミングで会っていたので」と谷はほほえむ。
さかのぼれば、2人が大学1年生で臨んだ初めての全日本インカレ。荒川総合スポーツセンター(東京)では早稲田大vs.大阪産大、愛知学院大vs.東海大の3回戦が同時刻に行われていた。
そこで、リザーブとしてアップゾーンに控える谷は、ついつい隣のコートに目を奪われていた。視線の先には、徐々に出場機会が与えられ、コートに立てば強烈なスパイクを突き刺す水町の姿。水町がアップゾーンに戻ったときには、お互いに目が合ったそう。
その試合後、「水町のほうを見ていたね」と水を向けると、谷はどこかうれしそうに言い放った。
「やっぱり泰杜、かっこいいですね!!」
それが3年前の、12月2日のこと。大学生活の最後に、プレー姿を見届けた日付と同じだった。たとえ離れていても、どれだけ月日が流れても。その目に映る水町泰杜の姿は変わらなかったのである。
(文・写真/坂口功将)
【関連記事】
■全日本インカレ男子 早稲田大が2年ぶり10度目の優勝で今年度四冠を達成
■日本一にも「自分、何もしてない」と嘆いた水町泰杜は完全燃焼できたのか? 学生生活最後に味わった“あの感覚”
■西日本インカレ男子 愛知学院大が連覇達成 最終日の試合結果
■「あれはたまらなかったです」早稲田大 水町泰杜が憧れのクビアクと興じた一瞬の駆け引き
【ギャラリー】水町泰杜と谷武珍。高校3年生時の春高後取材でのスペシャルカット