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海外移籍を決意した大塚達宣の告白 「悔し涙はゼロ」でも思いがあふれたパナソニックでのラストゲームのあの場面

  • V1
  • 2024.06.10

試合後に整列したのち、円陣を組む大塚らパナソニックの面々

 

 

恒例だった試合後の円陣。その輪の中で

 

 コート上で大塚はチームメートとハグをかわし、お互いに健闘をたたえあう。そのなかでもひときわ思いがあふれた場面がある。それは数名のメンバーと円陣を組んだときのことだった。その顔ぶれに秘められた背景を大塚はこのように明かした。

「実は僕たち、初めは“パスに難あり”やったんですよ。ジェスキーと僕とともさん(山本智大)の3人でサーブレシーブに入るのですが、数字は悪いわけではないけれど、連携の部分が課題でした。ロラン・ティリ監督から試合でも『ノーエースでいくんだ』『ノータッチエースだけは避けるんだ』と指摘され続けていたんです。そこで3人でいちばんいい解決策を模索して、V・レギュラーラウンドの途中くらいからは試合が終わるたびに、3人で『今日もサーブレシーブ耐えたね』と肩を組んで喜ぶのが儀式みたいになっていました。

 そうして途中から交代で入ってくる(垂水)優芽や(仲本)賢優さんが加わって、どんどん増えてきた。たまに永野(健)さんまで入っていましたからね。どんどん輪が大きくなって、しまいにはサーブレシーブする選手全員で円陣をするのが恒例になりました」

 

 決勝では勝利とならなかったが、チーム全体のサーブレシーブ成功率では70.3%と、サントリーの45.4%を大きく上回っていた。「負けたのはしようがない。けれど『よく頑張ったね』って」。円陣の中で、そんな言葉が交わされた。

 ただ、いつも試合が終われば必ずやっていたことなのに。このときは格別だった。

「あの円陣を組んだときに涙が出ましたね、僕は」

 

 

表彰式では涙も晴れ、堂々とした振る舞いを見せた

 

馴染みあるパナソニックパンサーズへの感謝と胸に秘めた願い

 

 大塚がバレーボールを始め、いちばん最初に入ったチームは、パナソニックパンサーズが枚方で展開している下部組織の「パンサーズジュニア」だった。中学ではパンサーズジュニアをクラブチームの全国大会優勝に導き、大塚達宣の名も全国区に。果たしてトップチームのユニフォームを着ることになるのだが、それは宿命のように感じられた。

 

 大学そして社会人1年目を含めて計3シーズンという時間は、“赤い糸”で結ばれたものどうしとしては短いようにも映る。そのラストゲームはいかなるものだったのか。

「最後だけはどこか、ほかの試合とも違いました。僕からも周りの皆さんに『ありがとうございました』と伝えて、逆にそう言ってもらえて。そのうちに『終わりなんだ』と実感してきました。

 それに、表現は難しいですが決して“追い出された”のではなく、どちらかといえば自分からこのタイミングで“行きたい”と伝えていたので。自分が決めていたこと。とはいえ、それでも寂しい思いが湧きました」

 

 枚方出身、ジュニアチームOB。最優秀新人選手賞も手にし、昨年末は天皇杯優勝にも貢献した。これからのパナソニックを担う、それこそゆくゆくは“ミスターパンサーズ”なんて呼ばれる未来だってありえたはず。けれども以前から抱いていた「挑戦したい」気持ちを汲み取ってもらった。その感謝を胸に大塚は今秋、イタリアへ渡る。ただ――

「今だと清水邦広さんがオフシーズンに普及活動や地域活動をたくさんされている姿を見て、やっぱりそういうことを大事にしたいですし、自分の地元でしっかりと恩返したいので。今の清水さんの年齢まで自分がやれるかわからないですけど(笑) 最後はパナソニックに帰ってきたい、その気持ちはありますね」

 小さい頃からあこがれ、慣れ親しんだユニフォームを脱ぐ。ひとまずは。そして、またいつか。

 

 

ラストゲームを戦い終えて、先輩たちと熱い抱擁をかわす。その目には涙がきらり

 

 

(文・写真/坂口功将)

 

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【ギャラリー】笑顔も涙も、仲間との秘蔵ショットも。大塚達宣のパナソニック“ラストゲーム”集

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