バレーボールのSVリーグ女子、東レアローズ滋賀は7月1日、6名の新加入選手を発表した。そのうちの一人、青柳京古は埼玉上尾メディックスで実に11シーズンを過ごし、これが自身にとって初の移籍となる。すでに退団を表明していた今年5月の第72回黒鷲旗全日本男女選抜大会で、あふれる涙とともに明かした思いがあった。
大学を卒業後、埼玉上尾に入団しチームの成長を支えてきた
試合が終わった瞬間に込み上げたのは、悔しさと同時に安堵に似た感情だった。
今年5月3日、黒鷲旗の予選グループ戦3日目で埼玉上尾メディックスは2敗目を喫して敗退が決まった。この大会をもって引退、退団する選手も多く、コート上では涙の輪が広がる。青柳もその一人で、チームメートたちと抱擁をかわした。
「もう少し勝てると思っていたんですけどね。大会に勝って、『みんな、それぞれの道で頑張ろう』といきたかったですが…、そううまくはいきませんでした。
私自身はどんなトスにもアジャストとして得点につなげることが持ち味で、それが今日はできたのですが、昨日までの2試合はできませんでした。力が入ってしまって…、それは新しい感覚でした」
力が入った理由は、ほかでもない自分がわかっている。これが、このチームで戦う最後の大会だったからだ。
「このチームで最後だから、そう思うといつもどおりにプレーができませんでした。自分から『移籍して挑戦したい』と言わせてもらって…」
そう言うと青柳は20秒ほど、次の言葉をつむぐまでの時間を要した。
「これが引退じゃなくてよかったな、って。仮に引退するとなったら、いいかたちで終わりたいじゃないですか。あ、最後はこういう気持ちになるんだ、と思いましたね」
まだ現役生活は続く。ゆえに、ほっとした。一方で、強烈な寂しさに襲われた。「あともう少し、このチームでやっていたかった」と。
「挑戦したい」という思いに、チームのフロントたちが返した言葉の数々
青柳が明かすに、移籍を考えていたのは5、6年前からで、しばらくの間、その気持ちを抱えていた。ただし、移籍そのものへの向き合い方は自身の中で、時の経過とともに変化した。
「新しい環境で過ごす、その一つが私にとっては日本代表だったのですが、2024年度はかなわなくて。また、チームでも在籍10年という区切りを迎えることができました。それで、何年も前から持っていた移籍への思いを今年、チームに伝えたんです。
ただ、移籍を考え始めた当初はネガティブな感覚でいました。このチームから逃げたい、みたいな。でも最終的にはまったく別の、純粋に“挑戦したい”という気持ちでしたね」
そうさせたのは間違いなく、埼玉上尾メディックスというチームの持つ空気だ。
「今のチームは雰囲気がとてもよくて。監督のシゲさん(大久保茂和)も『どんどん挑戦しようよ!!』という雰囲気を出してくれています。それで、私も『知らない世界に挑戦したい』と伝えました」
10年以上、貢献してきた功労者からの打診を、チームは受け止めた。
「しげさんは『一人の友だちとして、めっちゃ応援している』と言ってくれました。それにGMなどフロント側の方々も応援してくれて。『でも、スタッフの立場からはつらいよ』と(笑)
そうした言葉を受けて、数年前に移籍を考えていたときとはまるで違う感覚を持てましたから。あのときチームを出ていかなくてよかったな、とつくづく思いました」
「ここがああだったね。明日はこうしよう」と言い合える埼玉上尾のスタイル
「ここがああだったね。明日はこうしよう」と言い合える埼玉上尾のスタイル
選手の意思を尊重することもしかり。そうしたポジティブな雰囲気は埼玉上尾ならでは、ともいえる。それは試合後に表れるのだと青柳は話す。
「ほんとうに毎試合ですよ。特に(サラ・)ロゾが話していました。彼女の友人が見にきた試合で負けてしまったんですけど、私たちを見て『全然、負けたようなチームに見えない』と言っていたよ、って。
確かに土曜日の試合で負けても、バスの中では『明日頑張ろうよ!! 明日、明日』という言葉が出ていますし、試合直後のベンチでも『ここがああだったね。明日はこうしよう』と切り替えていますからね」
埼玉上尾の一員として青柳が過ごした最後の黒鷲旗もそうだった。予選グループ戦の2日目にKUROBE アクアフェアリーズに敗れたことが、結果として敗退に大きく響いたわけだが、そこでもこんな一幕があった。
「トレーナーの山内亮さんがダウンをしながら、『会場を出るまでに10回はみんなに、ありがとう、と言おうな!!』と提案したんです。そうしたら選手全員、『亮さん、ストレッチありがとう!!』とか。『明日も頑張ろうな!!』『うん、ありがとう』『ありがとう』って(笑)
外から見たら、ふざけているように映ったかもしれないですけど、そんな提案も素直に受け入れるんですよ」
その空気に何度も救われた、と青柳は言う。
「退団を伝えるのが心苦しかった」と明かす2人の存在
愛知学院大を卒業後、当時はV・チャレンジリーグ(いわゆる2部)の、まだ“埼玉”の地域名が入っていない頃の上尾メディックスに入団した。個人賞受賞に加え、チームの昇降格も、トップカテゴリーでの上位争いも経験した。そんな時間を青柳は「一緒に成長してきた、と感じますね」と表現する。そして、その道のりには2人の盟友の存在があった。
「もう10年間近く一緒にプレーしてきたのは、岩崎こよみさんと山岸あかねさんなので。その2人に退団することを伝えるのは心苦しかった…。埼玉上尾での記憶を思い出すと、その2人の顔がよぎるんですよ。
例えば監督から『速い攻撃をしろ』と指示があっても、こよみさんは『打点を生かせるように高い位置にトスを持っていくからね』って。監督に逆らってでも、私のやりたいことをやらせてくれて、結果を出すことで監督に『それでいこう』と言わせたり。
キラさん(山岸)は、どんな状況でも私がアタックの助走に入れるように、しっかりと間をつくって1本目を上げてくれました」
きたる新シーズンで青柳は新天地に身を移すことを決断した。ゆくゆくは対戦相手として、2人と戦うことは十分にありえる。
「これからは2人がいない環境に行く。それが正解かはわからないですけど、(チームコネクターの)原桂子さんに『この選択を正解にできるように頑張ったらいいんだよ』と言ってもらいました。
戻りたい、と思ってしまうかもしません。でも、こんなにいいチームを去ること自体が私の覚悟。頑張らないと!!」
ネットを挟んで、にらみ合う。倒すべき敵どうし、闘志を燃やす。でも、その熱はきっと、ほんのり温かい。
(文/坂口功将 写真/山岡邦彦、中川和泉〔NBP〕、月刊バレーボール編集部)
■230試合出場記念インタビュー 青柳京古(埼玉上尾メディックス)
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