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出場できるのは12名なのに帯同は14名。JOC杯沖縄県選抜男子の育成方針「つらいですよ。みんな頑張っていますから」

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 バレーボールの「JOCジュニアオリンピックカップ第38回全国都道府県対抗中学大会」(以下、JOC杯)は昨年12月末に大阪で開催され、そこで中学3年生たちの多くは中学バレーにひと区切りをつけた。そのJOC杯の選抜活動における経験を、春から始まる次のステージへ生かす選手たちもいるだろう。

 

 

令和6年度JOC杯沖縄県選抜男子

 

 

本戦は12名の登録で実施されるJOC

 

 JOC杯の開幕を2日後に控えた20241223日のAsueアリーナ大阪(大阪市中央体育館/大阪)のサブコートでは、大阪南選抜と沖縄県選抜の両男子チームが練習試合を行なっていた。

 

 統一された練習Tシャツを着た沖縄県選抜にふと目をやり、選手の数を数えてみる。123…、1112、そして1314JOC杯のエントリーは12名のはずなのに、そこには14名の選手がいた。その理由を佐喜真道昭(さきま・みちあき)監督に聞いてみる。

「もう10年以上でしょうか。私が県選抜の指揮を執るのは3年目になりますが、その以前から沖縄県ではこのかたちがとられています。中学生たちにたくさんのことを経験させたい、というねらいがあります」

 

 沖縄県選抜が活動を開始するのは夏頃。その時点で選ばれた14名が“認定選手”となり、年末の大会本番まで一団となって活動する。大会の最終エントリー提出が12月初旬であり、その1週間前を目処にチームは登録12名を決めるというのだ。

「活動期間中もずっとそのことは伝えています。ですが…、いざ、その場になると別問題ですからね」

 佐喜真監督は絞り出すようにして、そのつらさを吐露した。

 

 

14名で大阪の地にやってきた。写真は12月23日の大阪南選抜との練習試合

 

 

メンバーが決定後も「いいプレッシャーになりました」と福原キャプテン

 

「落ちてしまうかもしれないという不安と同時に、このメンバーから仲間が落ちてしまうとどうなるんだろう? という思いでした。決まったのは九州での合宿を終えたあとです。発表されたときは、(外れた)2人とも涙していました」

 

 そう振り返るのは、今回の沖縄県選抜でキャプテンを務めた福原兼成(ふくはら・ともる/あげな中3年)だ。実に3ヵ月近くをともに過ごし、最後にメンバーから外れる。酷に映るだろう。宣告する側にとっても同じだ。

「つらいですよ。だって、みんな頑張っていますから。戦術やポジションのバランスでどうしても2人を外すことになる…、つらいところです。ただ、それ以上に保護者の方々から『活動をやらせてよかった』とおっしゃっていただけたり、選手本人たちも『切り替えます』と言って引き続き大会まで臨んでくれる。それは、今まで過ごしてきた時間は本人たちにとって決してムダじゃなかったという証しだ、と思いながら私自身も向き合っています」(佐喜真監督)

 

 大会への登録から外れながらも2人は活動に携わり、練習メニューにも入り、集大成となるJOC杯が開催される大阪まで帯同する。仮に大会中に負傷者が出たとしても登録されるわけではなく、観客席から試合を見守ることになるのだが…。

「外れた選手たちが切り替えて、みんなのそばで頑張ってくれている。その姿を見て、大会に出場するメンバーたちも責任感を強めた部分はあると感じます」と佐喜真監督。

 

 その言葉どおり、本番での登録が決まった12名は大会までのおよそ3週間、心のスイッチを入れていた。「外れた彼らの気持ちを背負って活動しなければいけませんし、練習からしっかりとやらなければと引き締まりました。いいプレッシャーになりました」とは福原キャプテンの言葉である。

 

 

気持ちを押し出してプレーする姿が印象的だった沖縄県選抜

 

【次ページ】外れた2人が明かした、JOC杯沖縄県選抜との向き合い方

沖縄県選抜に帯同した森田凱童(写真右)と喜原凜(同左)

 

 

外れた2人が明かした、JOC杯沖縄県選抜との向き合い方

 

 今回、最終的に登録メンバーから外れたのはアウトサイドヒッターの森田凱童(もりた・かいどう/金武中3年)とミドルブロッカーの喜原凜(きはら・りん/美東中3年)の2人。ともに、それぞれの学校ではエースの立場にあったが、沖縄県選抜の活動におけるスタートラインは異なった。

「僕は中学からバレーボールを始めたのですが、JOC杯は憧れでした。県選抜で自分にできることを精いっぱいやって、レギュラーになれるように頑張りたいと思っていました」と森田。活動期間中はレシーブやスパイクのコース打ちを磨いてきたが、憧れの舞台に立つことはかなわなかった。

「もっともっと努力が必要でしたし、自分の頑張りが足りなかったんだな、と受け止めました」

 

 一方の喜原は、そもそも選抜入り自体が願ってもないものだった。

「僕はもともとメンバーから漏れていました。ですが、リベロの選手が抜けてしまって、そこに僕が代わりに追加で選出されたんです。ただ複雑でしたね。うれしいことには変わりありませんが、リベロの彼も含めて、そもそも選考から落選した選手もいたわけですから。その人たちの分まで頑張ろうと思っていました」

 

 きっとJOC杯の沖縄県選抜に入りたかった中学生はごまんといただろう。14名に名前を連ねたとき、喜原はそんな面々に思いを馳せていたわけだが、それは「自分も大事だけれど、相手を思いやりなさい。そう親からずっと言われてきた」からだった。

 

 

観客席の応援団の最前列でチームに声援を送る2人の姿

 

 

最後は「令和6年度JOC杯沖縄県選抜男子」の14名で

 

 いざJOC杯本番を迎え、2人の姿は客席の応援団にあった。「彼らが最後はみんなのためにサポートに徹してくれたおかげで、出場するメンバーたちも試合に集中できたことでしょう」と佐喜間監督は目を細める。

 

 チームは予選グループ戦を突破し、決勝トーナメント一回戦で茨城県選抜に敗れたが、掲げてきた“全力プレー”をコート上で体現し続けた。福原キャプテンは言う。

「外れてしまった2人もユニフォームをもらえた12名も、しっかりチーム一丸となって大会に臨めたのがよかったです」

 

 大会の敗退が決まり、会場のAsueアリーナの廊下では、県の関係者たちからねぎらいの言葉を受けるチームの姿があった。試合直後とあって、選手たちはユニフォームを着用したまま。ふと、その胸番号に目をやると…。

 123…、1112、そして1314

 13番は森田、14番は喜原だ。

 その様子を目に「正直、最初は複雑な心境だとは思います。ですが、この雰囲気を知ってもらいたい。それが彼らの次につながると願っています」と佐喜真監督は語った。

 

 2人はこれからもバレーボールを続けるという。

「自分のチームで勝てるように、一生懸命やりたい。憧れを持ってもらえるような選手になりたいです」(森田)

「高校で雪辱を果たせるように。ミドルブロッカーとして頑張っていきます」(喜原)

 

 喜びも悔しさも味わい、最後は沖縄本土を飛び出て全国大会を肌で感じた。試合には出られずとも胸に「沖縄」の文字が刻まれたユニフォームを着用した2人にとってそれは、まぎれもなく財産である。

 

 

メンバー14名とスタッフをまじえて。これが「令和6年度JOC杯沖縄県選抜」だ

 

(文・写真/坂口功将)

 

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