第77回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春の高校バレー)で優勝を果たした女子の共栄学園(東京)。共栄学園は中高一貫校で、今大会では中学時代から共栄学園で過ごした高校3年生が中心となり、悲願を達成した。そんな選手たちを高校で指導する中村文哉監督と、中学時代に指導した黒田一彌監督の対談をお届け。春高期間中の秘話や、高校1年生時に日本代表に選ばれ、先日SVリーグのヴィクトリーナ姫路と契約を結んだ秋本美空について語った
切り替えが大変だったインターバル期間
――優勝した春高を振り返っていかがですか?
中村 中学のときから(現高校3年生は)能力があると理解していました。高校1年生時は(春高)ベスト8に進出しましたが、その大会以降はなかなか実力を発揮できませんでした。(昨年6月の)関東大会で優勝して、うまくいくかなと思ったら、インターハイに出場できなくて…。ようやく最後の最後で見せてくれたという印象ですね。今大会は試合を重ねながら成長しました。
――昨夏のインターハイ出場を逃し、苦しんだ選手たちにどんな言葉をかけて、春高の舞台に送り出しましたか?
中村 春高都代表決定戦では第3代表(準決勝で下北沢成徳高に敗れ、3位決定戦で文京学院大女高に勝利)でなんとか出場できたので、あくまで「挑戦者の気持ちで」と伝えました。あとは「とにかく強気でいけ。攻めるしかない」と、ひたすら言っていたかもしれないです。1年生の山下(裕子)には、ミスをしても「気にするな」「それでいい、ガンガンいけ」と伝えました。
——黒田監督は春高期間中、高校の選手たちにどんな声をかけましたか?
黒田 具体的なアドバイスはしていません。「お疲れ、頑張ったね。次も頑張れ」という感じでした。レギュラーの選手たちは試合が終わったら次の試合の準備があるので、私は中学生、メンバー外の子たちと一緒にサポートしていましたね。
中村 (黒田監督は)秋本(美空)さんの担任を務めているので、学校生活で選手たちと話す機会はかなりあったと思います。
――準々決勝から準決勝までの、3日間のインターバルはどう過ごしましたか?
中村 あの(インターバルの)期間は、ふつうに授業をしていて、みんな大変でしたよ(笑) 秋本さんは、(準決勝)前日に体育の授業で卓球をしているからね(笑) 春高期間中にそんな人なかなかいない。
黒田 ふつうに授業を受けていましたね。今年はインフルエンザなど、体調を崩すことだけが怖かったです。
中村 春高の前と期間中に体調を崩したのは誰もいないんじゃないかな。感染症対策はうまくいきましたね。手洗いとうがいは練習中でもこまめにさせていました。そこは優勝に関係したと思います。ほんとうにそれだけが怖かったので。
キャプテンに就任してから生活態度が改善
――中学時代から期待されていた秋本選手。当時はどんな選手でしたか?
黒田 のほほーんとしていましたね。当然反抗することもありましたが、それは中学生ですから、みんなあることです。でもポテンシャルやセンスはとても感じていたので、ダメだったら秋本に託す、というのは定着していたと思います。 中学時代にレシーブなどさまざまなことをさせていたので、その経験が今大会で生きてよかったと思います。
――秋本選手らが中学3年生のときの全日本中学校選手権大会では、エースが宇都木(乃愛)選手。秋本選手はセンターエースとして臨みましたが、決勝トーナメント2回戦で敗退しました
黒田 実はあの大会、決勝トーナメント1回戦の公式練習で木村(響稀)が指を骨折してしまうトラブルがあったので、急きょ森(愛唯)を木村のポジションに入れて臨みましたが、バタバタの状態でした。結局歯車がかみ合わないまま、予選グループ戦で勝った札幌大谷中(北海道)に負けてしまいました。でも、そのときに宇都木と秋本が頑張ってくれて、セッター岩川(友渚)のトス回しもピカイチだったことを覚えています。
今の高校3年生の選手たちは、中学2年生のときにコロナ禍の苦しい時期を過ごしていたので、「ここからまた悔しさをバネに高校で頑張りなさい」という意味を込めて、全員にタピオカをおごりました(笑) だからほんとうに今回は感慨深くて、感謝です。
――高校の最高学年で秋本選手はキャプテンに就任しました。取り組む姿勢など、この1年で変化は感じられましたか?
中村 それはもう変わったと思います。意識が変わって、練習でも山下ら下級生や同学年も含めて、よく引っ張ってくれました。
黒田 担任目線だと、学校生活では課題の提出など、最低限しなければならないことをおろそかにしなくなったことがとても印象的でした。
中村 だいぶ変わった。ちゃんと大人になっていった。
黒田 ほんとうに成長した、と感じます。中学のバレーボール部で3年間指導して、高校2年生からは担任だったので、だいぶ成長が感じられました。
中村 なんだかんだキャプテンにして正解だったと思います。あとは副キャプテンを木村さん、中山さんの2人に任せたのもよかったです。いつもは1人ですが、秋本は日本代表に選ばれたりしていたので。そのために2人つけたことがうまくいきました。
――秋本選手にはこれから、どのような期待を寄せていますか?
黒田 (中学入学当初から)ほかと違う選手でしたので、大事に、大事に育てていました。中学のときは、セッターやレフト、ライト、センター、といろいろなポジションを経験させましたが、(今後は)オールラウンダーとして、日本代表に選ばれてほしいです。
中村 まあ(日本代表には)入んなきゃダメ、だと僕は思います。監督として日本代表に選ばれるために指導してきたつもりなので。セッターをさせていて、「やっぱり違う」となったこともあります。期待しすぎるのもあまりよくないと思いますが、日本代表に入ってくれたらいいな、と思いますね。ロス(ロサンゼルスオリンピック)に間に合わせられるように頑張ってほしい。俺はもう何もできないけど(笑)
中村文哉
なかむら・ふみや/1987年12月14日生まれ/川崎橘高(神奈川)→日本体大
担当教科は保健体育
黒田一彌
くろだ・かずや/1992年3月30日生まれ/安田学園高(東京)→日本大
担当教科は社会
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