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セッターとして星城高へ進学も最後の春高はマネジャーで。伊藤歩樹の決断と貫いた信念「コートに立ちたい、けれど勝たせたい思いが強かった」

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 全国各地の学校では卒業シーズンを迎え、学生たちはこの春から始まる新たなステージへ胸を弾ませる。と同時に、それまで過ごしてきた学生生活に思いを馳せることだってあるだろう。今年1月の「春の高校バレー 第77回全日本高等学校選手権大会」(春高)に出場した男子の星城高(愛知)のマネジャー、伊藤歩樹(いとう・いぶき)。彼にとって、その大会はバレーボール人生最後の大舞台だった。

 

 

伊藤歩樹(いとう・いぶき/身長173㎝/最高到達点315㎝/知多中〔愛知〕,STINGS Jr.→星城高卒/セッター)

 

 

ジェイテクトSTINGS愛知のジュニアチームでキャプテンと司令塔を務めた伊藤

 

 これからやがて臨むことになる高校バレーに向けて、あの日、彼は目をキラキラと輝かせた。

 さかのぼること4年の20211127日、エントリオ(豊田合成記念体育館/愛知)で催されていた「2021 Vリーグジュニア選手権Bブロック大会」。ジェイテクトSTINGS愛知の中学生チーム「STINGS Jr.」でキャプテンを務めていた伊藤は準優勝という結果に「勝ちたかったですね…」と悔しさをにじませたが、「バレーボールが大好きなメンバーばかりで。宗宮直人監督は自分を『息子だ』と言ってくれて、僕も頑張りたいと思えましたし、みんなでお互いに励まし合える関係でした」と満足げな表情を浮かべた。

 

 この時点で受験を控えていたが、進学先は県内の名門である星城高と決めていた。「自分は頭が悪いので、試験が大丈夫かな」と苦笑いも、テレビで高校の試合を熱心に視聴していたため、憧れは強くなるばかり。星城高で指導する中根聡太コーチがジェイテクトの出身であり、また伊藤のポジションが中根コーチの現役時代と同じセッターだったことも、その思いに輪をかけた。

「春高予選はテレビ越しに見ていましたが、セッターがどんな態勢からでもアタッカーを気持ちよく打たせているのがわかりました。自分も高校ではアタッカーを生かせられるセッターになりたいです」

 

 

県内の名門校で、セッターとしての成長をにらんでいた

 

 

高校3年目、インターハイ県予選敗退を受けて下した一つの決断

 

 STINGS Jr.では一つ下の後輩に、のちに星城高でもチームメートになりエースを務める柏﨑祐毅がいた。そこでは「決定力のある選手がいるチームだったからこそ、いかに気持ちよく打たせるかが大事かを実感しました。なので、それは高校でも、さらにできるようになりたいと考えています」とセッターとしての学びを自身に落とし込んできていた。

 

 やがて念願かなって星城高に進学し、セッターとして着々と力をつけていく。高校3年目を迎え、「チームはツーセッター制を採用していて、自分は片方のセッターが後衛に下がった際に、前衛の3ローテでトスを上げることと、攻撃がかみあわなくなったときにチームの流れを変える役割でした」。

 

 だが、夏のインターハイ県予選敗退の結果を受けて、伊藤は自身に一つの決断を下した。

「県予選は純粋に自分の力不足です。自分のせいで負けてしまったので、そこからはチームを支える立場になって、何かできることがあればと考えました」

 ユニフォームを脱ぎ、マネジャーに回ることにしたのである。

 

 

今年1月の春高でチームをサポートする伊藤の姿(左から2番目)

 

 

【次ページ】マネジャーに転向した理由「自分が陰でチームを支えなければ」

ベンチに戻ってきた選手たちへ声をかける

 

 

マネジャーに転向した理由「自分が陰でチームを支えなければ」

 

 力不足を痛感したのは、ほかでもない自分自身だ。そこからセッターとしてレベルアップに励む選択肢だってありえただろう。けれども、伊藤が選んだのはスタッフへの転身だった。

「自分たちはセッターを育てていくことが、チームづくりの軸にあります。このチームにはユニフォームを着ていない選手も含めて、セッターが5人いて、レベルの高いメンバーがそろっている。自分以外にもチャレンジできる選手がいましたから。

 そのメンバーを竹内裕幸監督がさまざまな場面で起用していくことで、『これだ!!』というものをぶつけるのが最後の春高です。僕自身もプレーヤーとしてコートに立ちたい思いはありましたが、その気持ちはみんな一緒。一人一人が『試合に出たい』と思っていても、同時に、選手を支える役割を持った誰かが必要です。そういう立場になれる人間がチームにはいなかった。だったら、自分がチームを陰で支えなければと考えて、マネジャーになることに決めたんです」

 

 伊藤自身は2年生時に春高出場メンバー入りを果たしていた。ただ、そのときはコートに立つことはかなわず。

「出る一歩手前までいったからこそ、3年目に『もう一度立ちたい』思いはありました」

 

 

2年生エースの柏﨑(コート奥)を擁して春高の舞台に挑んだ星城高

 

 

最後の春高ではベンチから懸命にチームを後押しした

 

 そうして再び、高校生活最後の春高の舞台へ。そこではユニフォームではなくチームジャージを着て、胸には「M」のワッペンをつけてベンチに座っていた。

 

 チームは高岡一高(富山)との1回戦で大量リードをひっくり返す「奇跡のような」(伊藤)勝ち方から、昇陽高(大阪)との2回戦を制すると、3回戦では優勝候補の一角である東福岡高(福岡)と対戦する。

「スタッフに変わったとしても、やっぱりこの舞台を楽しみたかったですし、最終日のセンターコートまで行きたかった。そこはもう…、何て言うんでしょう、自分がトスを上げたい気持ちもあったけれど、どちらといえば『このチームを勝たせたい』気持ちが強かったです」

 

 巧みなメンバーチェンジを繰り出し、的を絞らせない攻撃を展開してくる東福岡高を相手に、伊藤は試合中も欠かさずメモを取り、隣の中根コーチと言葉を交わし、コートの中にいる選手やベンチに戻ってきた選手に声をかける。

「選手ではないから、ではなく、このチームに入ったかぎりは、このチームが好きなので。何か力になれることはないか、と考えて行動してきました」

 マネジャーになってから常に抱いてきた思いを、目の前の一瞬にぶつけていた。

 

 

たとえマネジャーとしてベンチに座っていたとしても、気持ちはコートに立つメンバーと一緒だった

 

 

「星城高を選んで正解でした」とその表情は清々しく

 

 結果、東福岡高に敗れて星城高の戦いは終わり、そして伊藤のバレーボール人生も幕を閉じた。春高3回戦が実施された今年17日、その胸の中を聞いてみる。

「星城高に入って、自分自身はプロのバレーボール選手を目指したかった。そこから3年間いろんなことがあって、最終的にはマネジャーになりました。大学でも続けないので、これで僕の競技人生は終わりです。

 この高校を選んだからこそここまで来られたと思いますし、選んでいなければひょっとしたらもっと前にバレーボールを終えていたかもしれない。なので、星城高を選んで正解だったと思います。楽しい3年間でした!!

 

 本人いわく、将来は救命資格を持った消防士を目指して、大学では救急医学を学ぶ。「自分は頭が悪いので、大丈夫かなぁ」と、4年前とまったく同じ言葉をこぼす。もしかしたら、また違う道が拓けて、それを選択するかもしれない。ただ、どんな道であっても。

 人のために頑張る――。バレーボールを通して得た学びは、伊藤の中で芯としてあり続けるに違いない。

 

 

東福岡高に敗れ、整列では深々とおじぎをしたのちに目を赤くした

 

(文・写真/坂口功将)

 

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