全国大会を目指した中学時代
強いチームをつくるため、強いエースになるための練習はめっちゃキツかったです。
土日は朝から晩までが当たり前で、当時は平日も夜遅くまで練習していました。スポーツが盛んな学校だったのですが、体育館は1つしかなくて、コートは2面しか取れません。バスケットボール部とバレーボール部で1面ずつ使って、その1面を男子と女子で使うといった感じでしたね。外練も含め、男子と女子が時間をずらして練習していました。授業が終わると女子は外練からスタートして、グラウンドでバレーボールをやったり、走ったり、筋トレしたりするわけです。
外練でのトレーニングは、中学生レベルに必要な筋力トレーニングが中心でした。自重で体幹を鍛えるようなトレーニングなのですが、中学2年の私は、最初腹筋などもできませんでした(笑) そこからスタートして、徐々に体をつくり、バレーボールの技術を積み重ねていく感じでしたね。それで部活時間の後半になると、男子と交代して体育館コートでの練習が始まるんですけど、けっこう夜遅くまできるので、ここからが長い(笑)
全国都道府県対抗中学バレーボール大会で入賞 後列左から3人目(中学3年生)
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故障による3ヵ月の完全離脱
中学2年でエースになってから、私の練習に対する姿勢はどんどん前向きになっていきました。単純にスパイク練習の量も増えたし、練習試合が終わった後の練習でも、私が「アタックライン内にスパイクを打てるまで帰りたくない!」とか言ってしまうから、もうずっと終わらなくて。責任感というより、負けず嫌いですね(苦笑) とにかくバレーボールに夢中だったんだと思います。
でも、そんな練習をしていたから故障してしまったんです。腰椎分離症(腰の疲労骨折に類する障害)でした。ちょうど成長期で、特に私の場合は成長スピードが早かったみたいで、ハードワークに耐えられる筋力がついていないのに、過度なバレーボールで腰骨に負担をかけてしまったのが原因だったようです。
結果、中学2年の終わりから3年の初めにかけて、3ヵ月ほどバレーボールができませんでした。ほんとうは完全にできないわけではなくて、コルセットをして、しっかりケアすれば基本練習くらいはできたし、フル出場はできなくてもチームのためにワンポイントで試合に出ることくらいはできたと思います。でも、先生は「愛は全日本を背負う選手になれる才能を持っているから、今ここで頑張りすぎてはいけない」と、私にバレーボールをさせてくれませんでした。将来のために、今、絶対完治させなさいと言ってくれて、絶対安静の1ヵ月を含め、3ヵ月間はまったくボールを触らせない治療専念期間をつくってくれました。病院でリハビリとトレーニングをしながら、腰をコルセットで固定したまま筋力を鍛える生活をして、ようやくバレーボールができるまでに3ヵ月かかりました。
あのときしっかり治したおかげで、その後の私があるんです。中学生の私は、とにかくバレーボールがやりたくてやりたくて、試合に出たくて仕方なかったから、先生の指導がなかったら絶対に完治させることができなかったと思います。
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家族の栄養サポート
故障をしたからというわけではなく、家族は私がバレーボールをすることに理解を示してくれて、積極的に応援してくれていました。特に父は協力的で、たくさん助けてもらいました。
毎日、夜遅くまで練習して帰ってくる私の健康を考えて、プロテインやサプリメントを与えてくれたのは父でした。私は、食べ物の好き嫌いはそんなにないのですが、たくさん食べられるタイプではなかったし、まだ子どもですから、自分の体のために栄養バランスを考えて食事をとることはできなかった。そういうときに、どこで勉強したのか、「これを飲んだら疲れがすぐに取れるから」などと言って、父がプロテインやサプリメントを用意してくれました。「何かパパすごいな⁉」「今度は何を買ってきたんだろう?」みたいな感じで(笑)
中学時代の大事な時期に故障をしてしまいましたが、きちんと完治させて、目標だった全国大会にも出場できたのは、先生の指導だけでなく、家族のサポートもあったからこそだと思います。
日本代表ユースチームでも活躍 最前列左から3人目
強豪高校運動部の食事事情
高校は、地元の仙台育英高に進学しました。家から近かったのですが、レギュラーは完全寮生みたいな感じだったので、私は3年間ずっと寮生活でした。寮の食堂で提供される食事はメニューも豊富で、きちんと栄養に配慮された食事が用意されていました。でも、食べる時間を確保するのが大変だったんです。
仙台育英高も練習時間がめっちゃ長いので(笑) 食事の時間までに食堂に行くのがまずたいへん。「間に合わない!」って走っても、「もう閉まっている!」みたいな。いつも野球部とバレーボール部が、時間ぎりぎりに駆け込んで、大急ぎで食べていた印象でした。時間ぎりぎりなので、おかずがほとんど残っていなかったりしました(笑)
特に1年生などは、練習後の片付けもあるので、とりあえず食堂が閉まる前に急いで食べに行って、また戻ってきて片付けをして、みたいな生活でしたね。夕食がすんでも、「体育館に戻ってもっと練習しよう」となってしまうこともあるんです。高校の体育館はバレー部専用だったので、とにかくバレーボール漬けの3年間でした。
もちろん、育ち盛りの高校生ですからお菓子なども食べたいわけです。私たちの寮では規制などもなかったので、近くのスーパーでおやつを買ったりしていました。でも、月々のお小遣いは決まっているので、そんなに買い物なんてできません(笑) 賞味期限が迫って値引きになったパンや、安くて量のある割れせんべいとか、そういうものを買って仲間とシェアして食べていました。
でも不思議と、カップラーメンを買ってきて夜中に食べるような人はいなかったですね。毎日、朝練がありますし、夜も8時や9時くらいまで練習するのが当たり前だったので、帰ってきてお風呂に入ったらもう眠たいし、寝ないと体がもたない(笑) 夜更かしした記憶なんて、テスト勉強のときくらいですから(笑) よくも悪くも、バレーボール漬けの健康的な生活だったように思います。
今日の食事が近い将来の自分を作る
当たり前ですが、食生活はやっぱり大事です。特に、中学から高校にかけての成長過程では、練習やトレーニングと並行して栄養面に配慮する必要があります。
現役を引退して、小中高生のバレーボール指導に携わるようになると、好き嫌いが激しい子どもが多くて驚きます。好きな食べ物を聞くと、ハンバーガーなどのジャンクフードや、タピオカなどのスイーツばかり。私の子ども時代には食べたことのなかったものばかりで、まさに今どきの子という感じですが、これでは強い体はつくれないし、病気やケガの原因にもなってしまいます。
指導に行った先の子どもたちには、今日食べたものがすぐに自分の力にはならないけれど、1ヵ月後、2ヵ月後の自分の体をつくることになるから、お母さんが子どものために作ってくれる食事をしっかり食べるようアドバイスしています。近い将来の自分のために、今日の食事を大切にするということは、要するに毎日、毎食をおろそかにしてはいけないということですから。
私自身、今は高校生の娘がいるので、家族の食事をすごく大事にしています。お弁当も、冷凍食品も使いますけど、ちゃんと毎日手作りしています。家族の健康を思って、好みや栄養バランスなどいろいろ考えながら買い物をして、料理をしていると、そういうことを自分も両親や祖父母からしてもらっていたのだということに改めて気づきます。自分がしてもらってきたことだから、自分もしてあげたいというか、そういう感謝の気持ちがつながっていくことも、人間が成長するために大切なことだと思えるようになりました。
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